『ユーラシアニズム-ロシア新ナショナリズムの台頭-』チャールズ・クローヴァー著、越智道雄訳、2016(平成28)年9月25日、NHK出版、3,630円

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その51

『ユーラシアニズム-ロシア新ナショナリズムの台頭-』チャールズ・クローヴァー著、越智道雄訳、2016(平成28)年9月25日、NHK出版
545頁の大著です。難解でしたが、近年のウクライナ情勢を予測しています。ユーラシアニズムというナショナリズムでもって情勢を分析しています。
まず、著者を紹介します。
「チャールズ・クローヴァー(Charles Clover)アメリカ人ジャーナリスト。『フィナンシャル・タイムズ』紙の前モスクワ支局長。現在は中国特派員として北京在住。同紙特派貝としてウクライナに在住していた1998年からユーラシアニズムの動向を追い続け、アレクサンドル・ドゥーギンらとも長期にわたり直接収材をおこなってきた、酉惻では数少ない記者。2011年に、英国報道賞の海外特派員賞、およびマーサ・ゲルホーン賞を、2014年に、ロシア・ノーボスチ通信賞を受賞。」(奥付より)
いつものように、幾つか抜粋しておきます。
「プーチンがさりげなく言及したロシアの歴史家レフ・グミリョフ、そしてパッシオナールノスチという耳慣れない言葉は、両者に無縁な者にはほとんど無意味だった。しかしながら、冷戦終結以後、ロシア政治に目覚ましく食い込んできたナショナリズムの保守的理論に通じていた者には、クレムリンが発する常套的なシグナルとして大きな意味を持っていた。アメリカ政治に置きかえれば、これはさしずめ「犬笛」に相当する【犬にしか聞こえない笛のように、特定の人々にしかわからない差別的隠喩を用いた政治手法。犬笛政治】。プーチンは、露骨には言えない事柄を国内のある集団に暗に伝えるために、これを使ったのだ。
パッシオナールノスチという言葉は、翻訳しにくい(英語ではパッショナリティか、それともパッショニズムか)。しかし、この言葉の由来を知っていた少数の者たちは、ただちに気がついた-弟3期目の大統領に就任してからすでに7か月、プーチンは自分が権力機構へと持ち込んできた新思想をエリートたちに微妙なシグナルで知らせようとしているのだ、と。数年前までは取るに足りないtp見なされていた思想、正気の沙汰ではないとすら思われていた思想が、大統領のその年の最も重要な演説に、突如キーワードとして使われたのだ。しかも、その十五か月後には、これらの思想が具体化された。ロシア軍兵士たちが、クリミア全土の空港、輸送拠点を音もなく占拠し、それがドミノ効果を発揮して、ウクライナ東部での戦闘へとつながったのである。過去二十年、プーチンの愛国主義は、節度を守り、特別な思想は掲げない公共性を守ったたぐいのものだったのに、今や彼は胸を打ち叩いて鼓吹するナショナリズムへと急旋回し、自己犠牲と規律、忠誠心と勇猛果敢さという軍事的徳目を強調しはじめたのだ。」(序章、P18~19)
「プーチンがロシアで最高権力者であることは疑問の余地がないが、支持者たちがイメージする絶対主義的皇帝とか、彼の誹謗者たちが囗にする独裁的専制君主といった意味での権力者でないことは明らかだ。オリンポス山の王座に座っているのではなく、現代版大貴族の集合体の上に座しているようなもので、彼らは資産、政策、甘い汁をめぐって絶え間ない争いを繰り広げている。がってのソ連共産党政治局の現代版のようなもので、決定は各メンバーの合意か、有力利益団体の力のバランスによってなされている。
クレムリンで競合する利益団体の過熱気味の抗争は、中世の宮廷に似ている場合が多い。たがいに争い(文字通り)背中から剌す確執のあげく、侵入者によって共通の利害が脅かされるとたちまち手を組み、侵入者を追い出せばまた暗闘に逆戻りする。エリートの戦いではイデオロギーは二の次で、リベラルと保守が手を組むことも多く、団結して強硬派を相手に回す。
ロシアの専制政治におけるこうした多元主義は何世紀にもわたってこの国に共通する特徴で、ハーヴァードの歴史学者エドワード・L・キーナンによれば、中世の宮廷政治との類似は現代に至るまで当てはまり、彼のよく知られた論文である「モスクワの政冶習俗」には、ロシア五百年の歴史を通じて、全能の独裁的皇帝という概念は神話にすぎなかったことが示されている。そうではなくて、キーナンによれば、クレムリンでの宮廷政治の指導原理は合意が基本だった。そこでの貴族たちの政治は「独裁的な皇帝への服従という自分たちに課した一種の虚構によって表現されたが、その虚構こそ、氏族同士が争えば発生する政治的混沌を避けるための陰謀にとって、中心的要素だった。」キーナンの結論は、三十年前と変わらず、今日でもすべての点で当てはまるように思われる。」(第13章 政治的テクノロジー、P473)
「 ロシアに産業革命が届くのは十八世紀の英での開始から百年後で、時期的には日本と大差なかった。おまけにロシア帝国はその日本に日露戦争で敗退する。一方、ロシア特有の甚大な西欧コンプレックスの克服手段がボリシェヴィキ革命だったのだが(日露戦争敗退も原因)、ソ連の瓦解で、西欧超克の次の手段がユーラシアニズムになった(少なくとも、プーチン政権では)。ユーラシアは、ロシア=シベリア=モンゴルに及ぶ内陸ステップ地帯を連結する巨大な大陸弧だ。ユーラシア=ヨーロッパ十アジアであり、この結合がロシアの西欧コンプレックスを和らげてくれる。日本までこの構想に組み込まれており、日米安保破棄なら千島を返してやるという含みなのだ。
著者クローヴァーは、この構想の最初の策定者トルベツコイとヤーコブソン、そしてそれをさらに進化拡大させたレフ・グミリョフの人生を感動的に描き、彼らの遺産を政洽目的に利用したアレクサンドル・ドウーギンとプーチンの狡知を掘り下げる。
特にドゥーギンはバーチュアル・リアリティ概念の導入によって一切を「紛い物」に一変させるポストモダニズムの申し子だ。また、ユーラシアニズムをロシア帝国再生の梃子に利用するプーチンは、この側面を最大限に利用する。彼のジョージア攻撃、クリミア占領とウクライナ侵攻はその「成果」で、情報攪乱とパッキングを実戦と組み合わせて活用する「ハイブリッド戦争」(ゲリラ戦闘今日日は低強度戦闘と呼ぷ)の典型だった。」(訳者あとがき、P535)