田尾雅夫編著『やわらかアカデミズム・(わかる)シリーズ よくわかる組織論』2010年4月30日、ミネルヴァ書房、3,080円

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その68

田尾雅夫編著『やわらかアカデミズム・(わかる)シリーズ よくわかる組織論』2010年4月30日、ミネルヴァ書房、3,080円
分かりやすい良い本でした。
バーンアウトとはどんな状態なのか。ネット検索すると、① 情緒の消耗:仕事で頑張り過ぎて、感情が枯渇した状態、② 脱人格化:他人に対して、思いやりをもって接することができない状態、③ 達成感の低下:やりきった感、やりがい、自信を失った状態らしい。その尺度が掲載されていたので引用しておきます。
「日本版バーンアウト尺度が研究やストレスへの気づきを促すなどの目的で広く用いられている。
問:あなたは最近6カ月ぐらいの間に、次のようなことをどの程度経験しましたか。右欄の当てはまると思う番号に○印をつけてください。
いつもある 5 しばしばある 4 時々ある 3 まれにある 2 ない 1
1 こんな仕事、もうやめたいと思うことがある。
2 われを忘れるほど仕事に熱中することがある。
3 こまごまと気くばりすることが面倒に感じることがある。
4 この仕事は私の性分に合っていると思うことがある。
5 同僚や患者の顔を見るのも嫌になることがある。
6 自分の仕事がつまらなく思えてししかたのないことがある。
7 1日の仕事が終わると「やっと終わった」と感じることがある。
8 出発前、職場に出るのが嫌になって,家にいたいと思うことがある。
9 仕事を終えて、今日は気持ちのよい日だったと思うことがある。
10 同僚や患者と、何も話したくなくなることがある。
11 仕事の結果はどうでもよいと思うことがある。
12 仕事のために心にゆとりがなくなったと感じることがある。
13 今の仕事に、心から喜びを感じることがある。
14 今の仕事は、私にとってあまり意味がないと思うことがある。
15 仕事が楽しくて、知らないうちに時間がすぎることがある。
16 体も気持ちも疲れはてたと思うことがある。
17 われながら、仕事をうまくやり終えたと思うことがある。
採点方法:以下の手順にしたがって、「情緒的消耗感」、「脱人格化」、「個人的達成感の低下」の三つの下位尺度の得点を算出する。各項目の得点は、[いつもある]=5点、「しばしぱある」=4点、「時々ある」=3点、「まれにある」=2点、「ない」=1点とする。
「情緒的消耗感」:.項目番号1、7、8、12、16の得点を合計して5で割る。
「脱人格化」:項目番号3、5、6、10、11、14の粡,点を合計して6で割る。
「個人的達成感の低下」:項目番号2、4、9、13、15、17の得点を合計して6で割り6から引く。」(第2部個人レベル Ⅲストレス、P83)
チンパンジーの抜粋箇所は、次の通りです。
「メンタリングとは、仕事において経験豊かで知識、地位、影響力を有する人がそれらをもたない若年者を個人的に援助し、キャリア発達を促進することをいう。この援助の与え手をメンター(mentor)、受け手をプロテジェ(protege)と呼ぶ。多くの場合,メンターになるのは職場の上司や先輩である。
メンターはプロテジェにとって,単なる指導者や支援者として以上に多様な役割を果たす。K.E.グラムによれば、メンターはキャリア的機能と心理・社会的穣能を持つという。キャリア的機能はプロテジエが組織内で昇進するようなキャリア発達を支援する働きかけであり、心理・社会的機能は能力、アイデンティティ、専門家としての有効性の感覚を高める働きかけである。また、グラムは、メンタリングの段階を4段階に分けている。まず,メンター・プロテジェ関係が始まる開始段階、キャリア的機能・心理社会的機能ともに最大限に発揮される養成段階、お互いの役割や感情面での変化がおとずれる分離段階、関係が終結する再定義段階である。
メンタリングの効果は、プロテジェのみにとどまらずメンターにも及ぶ。メンターは、プロテジェを指導・支援するなかで、自らか学び成長するという効果がある。
公式の制度としてメンターを導入する企業が増えているが、元来は自然発生的な、心理的な結びつきに基づく関係であることから、期間や目的が限定されることが多く、公式メンターを有効に機能させることは難しいと言われている(第5部Ⅱ人的資源管理、P204から要約)
「センシティビティ・トレーニング
「感受性訓練」ともいう。人材としての質を向上させるために,協働の質をいっそう向上させるために,孤島のようなところに隔離して,徹底的に,裸の自分を見せ合うのである。対人関係の中身が研ぎ澄まされて,相手がどのように考え,私かどのようにそれに応じればよいのかを否が応でも学ぶことになる。気の弱い人などはそれに耐えることができないようなこともある。今では見かけなくなったが,「地獄の特訓」などという言葉が踊っていたこともあった。企業から否応なく派遣されて,参ってしまった人も多かったのではないか。そういえば。気がおかしくなった人もいたという話を,どこからともなく聞いたことかある。
同じようなこととして「洗脳」がある。朝鮮戟争にまで遡るが,捕虜になった兵士が独房に入れられ厳しい監視を受け,そこで新しい価値観を注入させられるとそれにいつの問にか馴染んでしまうこと,そしてその態度変容を仕組む過程を「洗脳」という。まさしく脳を洗うのである。ストックホルム症候群(誘拐されて長い監禁か続くと,やがて犯人のいいなりになる,という実際に起こった事件からの用語)も同じようなものである。しかし,そこから開放されるとまた,もとのように戻ってしまうということでは。その影響は一時的であり,大きくないという論者もいる。
センシテイビテイ・トレーニングはこれらを真似ているといってよいのではないか。これは作為であるが,組織は中長期的に組織に忠誠を誓う人をいつの間にかつくり上げている。学生運動に血道を挙げていた友人が,何年ぶりかの同窓会に出てきて,「御社」,[弊社]を繰り返していた。昔を知っているものとしてやや滑稽という気がしないではないが,それほど会社は人柄をつくり変えるのである。彼らはすでに述べた「企業戦士」であり「会社人問」である。トレーニングほどの極端さはないか同じようなことではないかともいえる。しかし,一時の作為のトレーニングよりも根っこからの,「会社,命」といわせる人間改造のようなところがなくはない。いっそう恐ろしいという論者もいる。恐ろしいかもしれないが,それでこそ組織は稼動するのである。一生懸命,会社のために働くからこそ会社は発展するのである。恐ろしいというだけでは,この社会は後退し始めるかもしれない。そのことのほうか恐ろしいといえなくもない。組織と人間は本来,恐ろしい関係にある。組織論はその両面の恐ろしさと向き合わなければならない。
ただし,最近はそれはどの企業戦士も会社人間も少なくなったといわれるようになった。ということは会社も社会も衰退しているのではないのか。であれば,組織論はどのように組織と向き合えばよいのか。その意味ではむしろ混迷と向き合わざるを得なくなったということか。(田尾雅夫)」(コラム、P226~227)