『人新世の「資本論」』斎藤幸平

チンパンジー

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その8

集英社新書、2020年9月発行

私も計量経済と併せて、マルクス経済も少しお勉強したはずなんだが(汗)。最近評判の新書版です。深く勉強された方の文章ですから引き込まれます。
農業を守る側に立っていることを再確認できます。資本主義を遂行しているのも一人一人の人間であるが、まるで資本主義を悪人として擬人化しているようなことに、若干の違和感を感じる。
例によって、チンパンジーの感想より、気に入った箇所を抜き書きしておきます。

「マルクスは、資本主義の辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる「宗教」を「大衆のアヘン」だと批判した。SDGSはまさに現代版「大衆のアヘン」である。アヘンに逃げ込むことなく、直視しなくてはならない現実は、私たち人間が地球のあり方を取り返しのつかないほど大きく変えてしまっているということだ。人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世」(Anthropocene) と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である。」(P4)

「資本主義とは、価値増殖と資本蓄積のために、さらなる市場を絶えず開拓していくシステムである。そして、その過程では、環境への負荷を外部へ転嫁しながら、自然と人間からの収奪を行ってきた。この過程は、マルクスが言うように、「際限のない」運動である。利潤を増やすための経済成長をけっして止めることがないのが、資本主義の本質なのだ。その際、資本は手段を選ばない。気候変動などの環境危機が深刻化することさえも、資本主義にとっては利潤獲得のチャンスになる。山火事が増えれば、火災保険が売れる。バッタが増えれば、農薬が売れる。ネガティブ・エミッション・テクノロジーは、その副作用が地球を蝕むとしても、資本にとっての商機となる。いわゆる惨事便乗型資本主義だ。このように危機が悪化して苦しむ人々が増えても、資本主義は、最後の最後まで、あらゆる状況に適応する強靱性を発揮しながら、利潤獲得の機会を見出していくだろう。環境危機を前にしても、資本主義は自ら止まりはしないのだ。だから、このままいけば、資本主義が地球の表面を徹底的に変えてしまい、人類が生きられない環境になってしまう。それが、「人新世」という時代の終着点である。それゆえ、無限の経済成長を目指す資本主義に、今、ここで本気で対峙しなくてはならない。私たちの手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わる。」(P117~118)

「脱成長論が不人気なのには、日本特有の事情もある。高度経済成長の恩恵を受けてあとは逃げ切るだけの団塊世代の人々が、脱成長という「綺麗事」を吹聴しているというイメージが強いのだ。若いころに経済成長の果実を享受しておきながら、一線を退いたそのときから「このままゆっくり日本経済は衰退していけばいい」と言い始めたというわけである。そのことが、就職氷河期世代からの強い反発を生んでいる。」(P120~121)

「『コモン』は、アメリカ型新自由主義とソ連型国有化の両方に対峙する「第三の道」を切り拓く鍵だといっていい。つまり、市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのでもなく、かといって、ソ連型社会主義のようにあらゆるものの国有化を目指すのでもない。第三の道としての『コモン』は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す。より一般的に馴染みがある概念としては、ひとまず、宇沢弘文の「社会的共通資本」を思い浮かべてもらってもいい。」((P141~142)

「最終的に、危機の時代には、こうした形で、剥き出しの国家権力がますます前面に出てくる可能性が高い。なぜかといえば、1980年代以降、新自由主義は、社会のあらゆる関係を商品化し、相互扶助の関係性を貨幣・商品関係に置き換えてきたからである。そして、そのことに私たちが慣れ切ってしまったため、相互扶助のノウハウも息いやりの気持ちも根こそぎにされているのである。すると、危機においては、不安な人々は隣人ではなく、国家に頼ってしまう。危機が深まるほどに、強権的な国家介人なしには、自らの生活が立ち行かなくなると考えるのだ。」(P282~283)

「政治にできることは、せいぜい間題解決の先送りにすぎない。だが、現在の地球環境においては、まさにこの時間稼ぎが致命傷となる。見せかけだけの対策に安心して人々が危機について具剣に考えることをやめてしまうのが、一番危険なのである。同じ理由から、国連のSDGsは批判されないといけない。中途半端な解決策ではなく、石油メジャー、大銀行、そしてGAFAのようなデジタル・インフラの社会的所有こそが必要なのだ。要するに、革命的なコミュニズムヘの転換が求められているのだ。ただ、ここで政治家を責めてもしょうがないだろう。気候変動対策をしても、グローバル・サウスの人々や未来の子どもたちは投票してくれないからである。政治家は、次の選挙よりも先の問題を考えることができない生き物なのだ。さらに、大企業からの献金やロビイングも政治家たちの大胆な意思決定を妨げている。したがって、気候危機に立ち向かうためには、民主主義そのものを刷新していかねばならない。」(P354~355)

「国家の力を前提にしながらも、『コモン』の領域を広げていくことによって、民主主義を議会の外へ広げ、生産の次元へと拡張していく必要がある。協同組合、社会的所有や「〈市民〉営化」がその一例だ(第六章参照)。」(P356)

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