『食料・農業の深層と針路~グローバル化の脅威・教訓から~』

チンパンジー

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その15

鈴木宣弘著、2021年4月、創森社、1,980円

本書を読むときは、体調が万全である時であることをお勧めする。何故ならば、思いもしなかった国際政治や国内政治決定過程の真実を知ることになり、現在の日本の無策・無能ぶり、農業政策の誤り、政府の情けなさに憤慨し、イライラが昂じて食欲が落ちるからである。あの時の自信満々の政治家・お大臣様方を思い出すだけでそのイライラが増大するという悪循環。特に本書でも出て来るが、パソナ会長のTこと竹中平蔵氏。ひどい。

さておいて、最近では、こんなに真面目に論理だけでなく数字と統計を駆使して実証的に説明する学者を他に知らない。本書の内容は、安全基準から農業保護の世界比較、貿易政策、種子法、消費者との提携まで幅広く取り上げ解説している。JA関係者、協同組合に対する著者の期待も高い。JA関係者は、今すぐ読んで欲しいおススメの一冊。

鈴木教授は、本ホームページでも投稿中ですよ→キリンのささやき

鈴木宣弘氏の経歴は、次の通り

東京大学大学院(農学国際専攻)教授。1958年、三重県生まれ。1982年東京大学農学部卒業。農林水産省、九州大学教授を経て、2006年より東京大学教授。98~2010年(夏季)コーネル大学客員教授。2006 – 2014年学術会議連携会員。専門は農業経済学。日韓、日チリ、日モンゴル、H中韓、日コロンビアFTA産官学共同研究会委員、食料・農業・農村政策審議会委員(会長代理、企画部会長、畜産部会長、農業共済部会長)、財務省関税・外国為替等審議会委員、経済産業省産業構造審議会委員、JC総研所長、国際学会誌Agribusiness編集委員長などを歴任。主な著書に『現代の食料・農業問題』(創森社)、『食の戦争』(文藝春秋)、『悪夢の食卓』(角川書店)、『食べ方で地球が変わる』(共編著、創森社)、『日本農業過保護論の虚構』(共著、筑波書房)、『農業経済学第5版』(共著、岩波書店)など(奥付より)

チンパンジーの例によって、特記すべき箇所を幾つか抜粋しておきます。詳細は、本書で確認ください。まず、あとがきから本書の全体像をおつかみ下さい。

「日本の農家の所得のうち補助金の占める割合は3割程度なのに対して、EUの農業所得に占める補助金の割合は英仏が90%前後、スイスではほぽ100%と、日本は先進国で最も低い。命を守り、環境を守り、地域を守り、国土・国境を守っている産業を国民みんなで支えるのは欧米では当たり前なのである。それが当たり前でないのが日本である。我が国の食料自給率は38%まで下がっている。海外産が安いからといって国内生産をやめてしまったら、また、種や飼料の海外依存を強めてしまったら、2008年の食料危機のときのように輸出規制でお金を出しても売ってくれなくなったとき、あるいは、コロナ禍の物流停止のような事態が長期にわたって続いたら、日本人はたちまち飢えてしまう。だから、普段のコストが少々高くても、ちゃんと自分のところで安全な食料を生産をしてくれる人たちを支えていくことこそが、実は長期的にはコストが安いということを強く再認識すべきである。

日本は世界の食の安全志向に逆行して安全基準が緩いところを見透かされ、成長ホルモン、遺伝子組み換えなどのリスクがある農産物と禁止農薬の輸出先として格好の標的にされている。食料安全保障には質と量の両面がある。質の安全保障を確保するには量の安全保障、つまり、食料自給率の維持・向上が不可欠なのである。安いものには必ずワケがある。牛井、豚井、チーズが安くなって良かったと言っているうちに、気がついたら乳がん、前立腺がんなどが何倍にも増えて、国産の安全・安心な食料を食べたいと気づいたときに自給率が1割になっていたら、もう選ぶことさえできない。残念ながら今はもう、その瀬戸際まで来ていることを認識しなければいけない。

日本の農産物は買い叩かれている。農家の所得を時給換算すると1000円に満たない。そんな「しわ寄せIを続け、海外から安いものが入ればいいという方向を進めることで、国内生産を縮小することは、健康を蝕み、地域を壊し、国土を破壊することである。自分の命と暮らしを守るには持続可能な食・農・地域を考えながら、国家安全保障を含めた多様な価値も含む価格が「正当な価格」だと消費者が考えていくかどうかにかかっている。

本書は筆者が著した前著『現代の食料・農業問題~誤解から打開へ~』(創森社、2008年)の後継版ともいえよう。前書は当時の石破茂農水大臣が3度読み返し、「石破農政改革Iのベースとして活用されたそうだが、本書も前書同様に政策立案の参考にしていただきたい。それと同時に食料・農業分野に携わる力々はもとより、より多くの皆さんに食料・農業問題の本質と緊要性を理解するのに役立てていただくことを願いたい。」(あとがき P180~181)

「日本は、価格支持政策に決別した点では、いまや農業保護削減の世界一の「優等生」といえる。したがって、「世界で最も価格支持政策に依存した農業保護国」という指摘は、まったく当たらない。ウルグアイ・ラウンド合意では、削減対象の国内保護総額(AMS=Aggregate Measurement of Support)を各国が申告し、それを基準年(1986-1988年)に対して2000年までに20%削減することを約東した。2000年のAMSの削減目標の達成状況を見ると、日本は達成すべき額(4兆円)の16%の水準(6418億円)にまで大幅に超過達成している。コメや牛乳の行政価格を実質的に廃止したからである。コメの政府価格はまだあるというが、数量を備蓄用に限定したことで下支え機能を失っている。一方、米国は約束額(2兆円)を100%としたときに88%(1兆7516億円)まで、やや超過達成した程度である。日本のAMS額は、もはや絶対額では米国の半分以下であり、農業総生産額に対する割合で見ても米国と同水準(日本が7%、米国が7%)なのである。」(P56)

「AMSの達成目標の16%にまで大幅に超過達成した日本は突出しており、それは国内の価格支持をやめたからこそできたのであり、今も価格支持制度を維持している米国やEUとの違いは大きい。日本では、価格支持制度は「廃止対象」の政策のように認識され、早くなくそうと取り組んだが、これは大いなる誤解である。「黄」の政策はあくまで「削減対象」であり、許されるAMS総額の範囲内で、欧米諸国は「自由に」活用している。そもそもAMS額の基準年の設定を工夫して、削減する必要がないようになっていたので、AMS総額をあまり気にする必要もないくらいであった。さらに、米国では、酪農に「乳価マイナス飼料価格」が最低限の水準を下回ったら政府が不足払いするシステムを新設するなど、現場に必要なら「黄」の政策を新たに導入するという、日本では到底考えられない展開になっている。日本では、AMSの超過達成にあたって、「我が身をきれいにして国際交渉を有利にする」 と説明していたが、その成果はどこにあったのだろうか。負の成果として国内農業の疲弊が進んだことは確かである。交渉とは「自分の悪いところを棚に上げて相手を攻めるもの」といってもよく、米国は、小さいころからディベート教育で、黒を白といいくるめる技術を磨き、また、そういう力が評価される国である。こういう国と交渉しなくてはならないときに、我が身が完全にきれいでなければ相手を批判しないというなら、ほぼ相手を攻める機会はなくなってしまい、攻められてばかりになる。また、途上国の立場からすると、自らの保護は温存し、途上国には保護削減を求める欧米先進国の姿勢に気づいたからこそ、ドーハ・ラウンド交渉で強硬な姿勢を取ったのであり、現在、交渉が暗礁に乗り上げたままなのも納得できる。」(P57~58)

「平成末期には、畳みかけるようにFTAS EPAによる貿易自由化が進んだが、その進め方には共通した特徴がある。TPP断固反対として選挙に大勝し、あっという間に参加表明し(「聖域なき関税撤廃」が「前提」でないと確認できたとの詫弁)、次は、農産物の重要5品目は除外するとした国会決議を反故にし(「再生産が可能になるよう」対策するから決議は守られたとの誰弁)、さらに、米国からの追加要求を阻止するためにとしてTPPを強行批准し、日米FTAを回避するためにTPP11といって、本当はTPP11と日米FTAをセットで進め、日米共同声明と副大統領演説まで改ざんして、これはTAG (握造語)というものでFTAでないと強弁して日米FTA入りを表明した。果ては、 rcustoms duties on automobile and auto parts will be subject to further negotiations with respect to the elimination of customs duties」 が自動車関税の撤廃の約東を意味する、という理解不能な理由付けで、前代未聞のWTO違反の日米協定を強引に発効させた。そして、次節で解説するように、これらの自由貿易協定は日本経済を大きく成長させ、農林水産業へのマイナスの影響はない、というばら色の影響が「捏造」された。この影響試算について、生源寺具一教授は「気になるのは、都合の良いデータばかりを国民に提示していないかということだ。よく、EBPM=Evidence・Based Policy Making、証拠に基づいた政策立案といわれるが、今はPBEM=Policy-Based Evidence Making(政策に基づいた証拠づくり)と言えるのではないか」(生源寺2020)と評している。貿易政策にかぎらないが、政策全般が、その政策の方向性が妥当かどうかを証拠に基づいて検証して決めるEBPMでなく、政策の方向性が大きく打ち出されて、それを進めるために強引に証拠がつくられてしまうPBEMの傾向が極めて強まり、その強引さは、「ある」はずのものが「ない」となったり、「ない」ものが「ある」となったり、臨界値を超えてしまっているように見受けられる。こうした傾向は日本の将来の経済社会のありようを誤った方向に突き進ませかねない大きな危険性を持っていると言わざるを得ない。」(P82~83)

「農業政策は大手町と霞が関と永田町で決められてきた。以前は、大手町は全国農業協同組合中央会(JA全中)、霞が関は農水省、永田町は自民党農林族だった。今は同じ大手町と霞が関と永田町でも、大手町は財界、日本経済団体連合会であり、霞が関は経済産業省、永田町は官邸だ。平成の時代に誰が農政を決めるのかという構図が完全に変わってしまった。「当事者」が蚊帳の外に置かれてしまった。貿易政策では、「農業を犠牲(生賛)にして自動車などの企業利益を増やそう」という人たちの声が一層大きく反映されるようになってきている。筆者は農林水産省に15年いた。農水省は、農林水産業の発展を目指し、農山漁村や農林水産業を守り、消費者に安心・安全な食料を提供するという使命で頑張ってきた。そうした農林水産業の役割が、平成の間にどんどん壊された。「今だけ、金だけ、自分だけ」で、特定企業などの目先の利益だけが重視され、命を守り、環境を守り、地域を守り、国土を守る農林水産業の役割が軽視され、長期的・総合的な視点が蔑ろにされたら、将来に禍根を残すことは避けられない。国内制度についても、酪農の指定団体制度も、種子法も、漁業法も、林野の法改定も、農林漁家と地域を守るために、知恵を絞って作り上げ、長い間守ってきた仕組みを、自らの手で無惨に破壊したい農水省の役人がいるわけはほとんどない。それらを「民間活力の最大限の活用」の名目で特定企業への便宜供与のために、自身で手を下させられる最近の流れは、まさに断腸の思いだろうと察する。実は、例えば、漁業法については、「水産庁内での議論がないどころか、案文もほとんどの人は知らなかった」との指摘さえある。霞が関を批判するのはたやすいが、上から降ってくる指令に逆らえば即処分される恐怖の中で彼らも苦しんでいる。」(P83)

「TPP11(米国抜きのTPP=環太平洋連携協定)、日欧EPA(経済連携協定)、日米貿易協定と畳みかける貿易自由化が、危機に弱い社会経済構造を作り出した元凶であると反省し、特に、米国からの一層の要求を受け入れていく日米交渉の第2弾はストップすべきである。食料だけではない。医療も、米国は日本に対し米国型の民間保険の導入、営利病院の進出を追求し続けている。米国では、無保険で病院から拒否された人、高額の治療費が払えず病院に行けない人が続出した。こんな仕組みを強要されたら大変であることはコロナ危機で実感された。国内的には、一部の企業的経営、あるいは、いわゆるオトモダチ企業に農業をやってもらえばいいかのように、既存農家からビジネスを引き剥がすような法律もどんどん成立させてしまった。「国家私物化特区」でH県Y市の農地を買収したのも、森林の2法で私有林・国有林を盗伐して(植林義務なし)バイオマス発電するのも、漁業法改悪で人の財産権を没収して洋上風力発電に参入するのも、S県H市の水道事業を 「食い逃げ」する外国企業グループに入っているのも、MTNコンビ(M氏が元会長で社外取締役が人材派遣業大手の会長T氏とLファーム展開のN氏)企業である。有能なMTNコンビは農・林・水(水道も含む)すべてを 「制覇」しつつある。」(P97)

「一連の「種子法廃止→農業競争力強化支援法8条4項→種苗法改定」を活用して、「公共の種をやめてもらい→それをもらい→その権利を強化してもらう」という流れで、種を独占し、それを買わないと生産・消費ができないようにしようとするグローバル種子企業が南米などで展開してきたのと同じ思惑が、「企業→米国政権→日本政権への指令」の形で「上の声」  となっている可能性も指摘されている。すでに、メガ・ギガファームが生産拡大しても、廃業する農家の生産をカバーしきれず、総生産が減少する局面に突入している。今後、「今だけ、金だけ、自分だけ」のオトモダチ企業が儲かっても、多くの家族農業経営がこれ以上潰れたら、地域コミユニティを維持すること、国民に安全・安心な食料を、量的にも質的にも安定的に確保することは到底できない。筆者は、2011年の東日本大震災のときに、被災農家の苦しみにつけこんで、規制緩和して、既存農家をつぶしてガラガラポンして農地を大規模化して企業に儲けさせる仕組みを作ろうとするショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)的主張が出てきたのに対して、次のように指摘した。「大規模化して、企業がやれば、強い農業になる」という議論には、そこに人々が住んでいて、暮らしがあり、生業があり、コミユニティがあるという視点が欠落している。そもそも、個別経営も集落営農型のシステムも、自己の目先の利益だけを考えているものは成功していない。成功している方は、地域全体の将来とそこに暮らすみんなの発展を考えて経営している。だからこそ、信頼が生まれて農地が集まり、地域の人々が役割分担して、水管理や畦の草刈りなども可能になる。そうして、経営も地域全体も共に元気に維持される。20~30ha規模の経営というのは、そういう地域での支え合いで成り立つのであり、ガラガラポンして1社の企業経営がやればよいという考え方とは決定的に違う。それではうまく行かないし、地域コミュニティは成立しない。火事場泥棒的なショック・ドクトリンがコロナ・ショック下で国内でも再来し、規制改革路線が加速されかねないことも忘れてはならない。」(P98)

「成長ホルモン、除草剤、防カビ剤など発がんリスクがある食料が、基準の緩い日本人を標的に入ってきている。国産には、成長ホルモンも、除草剤も、防カビ剤も入っていない。早く国産シフトを進めないと、量的にも、かつ質的にも、食料の安全保障が保てない。つまり、「国産は高くて」という人には、安全保障のコストを考えたら「国産こそ安いんだ」ということを認識してもらいたい。」(P102)

「世界中で抵抗にさらされているグローバル種子企業にとって、日本のみ、逆に彼らに有利になるような制度改革が、 ①種子法廃止(公共の種はやめてもらう)、②種の譲渡(これまで開発した種は企業がもらう)、③種の無断自家採種の禁止(企業の種を買わないと生産できないように)、④遺伝子組み換えでない(non-GM)表示の実質禁止(2023年4月1日から)、⑤全農の株式会社化(non・GM穀物の分別輸入は目障りだから買収)、⑥GMとセットの除草剤の輸入穀物残留基準値の大幅緩和(日本人の命の基準は米国の使用量で決める)、⑦ゲノム編集の完全な野放し(勝手にやって表示も必要なし、2019年10月1日から)という一連の措置で立て続けに行われているようにも映る。なぜ、ここまで、米国の特定企業への便宜供与が疑われる措置が次々と続くのか。それはTPP(環太平洋連携協定)合意と関連している。TPPにおいて日米間で交わされたサイドレター(交換公文)について、TPPが破棄された場合、サイドレターに書かれている内容には拘東されないのかという国会での質問に対して、2016年12月9日に当時の岸田外務大臣は「サイドレターに書いてある内容は日本が『自主的に』決めたことの確認であって、だから『自主的に』実施して行く」と答えた。日本政府が「自主的に」と言ったときには、「アメリカの言う通りに」と意味を置き換える必要がある。つまり、今後もTPPがあろうがなかろうが、こうしたアメリカの要求に応え続けることを約東していることになる。サイドレターには、規制改革について「外国投資家その他利害関係者から意見及び提言を求める」とし、「日本国政府は規制改革会議の提言に従って必要な措置をとる」とまで書かれている。その後の規制改革推進会議による提言は、種子関連の政策を含め、このサイドレターの合意を反映していると考えられるのである。」(P114~115)

「酪農は「クワトロパンチ」(四つの打撃)である。「TPPプラス」の日欧EPAとTPP1l と日米FTAの市場開放に加えて、農協共販の解体の先陣を切る「生賛」にされた。頻発するバター不足の原因が酪農協(指定団体)によって酪農家の自由な販売が妨げられていることにあるとして、「改正畜安法(畜産経営の安定に関する法律)」で酪農協が全量委託を義務付けてはいけないと規定して酪農協の弱体化を推進している。EUでは、寡占化した加工・小売資本が圧倒的に有利に立っている現状の取引交渉力バランスを是正することにより、公正な生乳取引を促すことが必要との判断から、独禁法の適用除外の生乳生産者団体の組織化と販売契約の明確化による取引交渉力の強化が進められているのとは真逆の対応が我が国では採られている。共販のルールに縛りをかける「改正畜安法」は、本来の独禁法の精神(農協共販を規制しない)と矛盾する「重大な欠陥」を有している。生乳は英国のサッチャー政権の酪農組織解体の経験が如実に示すように、買いたたかれ、流通は混乱する。このクワトロパンチの将来不安も 影響して、すでに都府県を中心とした生乳生産の減少が加速しており、「バター不足」の解消どころか、「飲用乳が棚から消える」事態が2019年夏からも起こり得ると警鐘を鳴らしてきたが、北海道の惨事(2018年の北海道胆振東部地震に伴う大規模停電による生乳廃棄)で顕在化した。この事態を、消費者は北海道の停電による一時的現象と勘違いしている。これは、いつ、そういうことが起きてもおかしくない構造的問題なのである。消費者はチーズが安くなるからいいと言っていると、子供に「ごめん、今日は牛乳売ってないの」と言わないといけない差し迫る国民生活の危機を認識すべきなのである。」(P132)

「「大規模化して、企業がやれば、強い農業になる」という議論には、そこに人々が住んでいて、暮らしがあり、生業があり、コミユニティがあるという視点が欠落している。そもそも、個別経営も集落営農型のシステムも、自己の目先の利益だけを考えているものは成功していない。成功している方は、地域全体の将来とそこに暮らすみんなの発展を考えて経営している。だからこそ、信頼が生まれて農地が集まり、地域の人々が役割分担して、水管理や畦の草刈りなども可能になる。そうして、経営も地域全体も共に元気に維持される。20~30ha規模の経営というのは、そういう地域での支え合いで成り立つのであり、ガラガラポンして1社の企業経営がやればよいという考え方とは決定的に違う。それではうまく行かないし、地域コミユニティは成立しない。そのことを混同してはいけない。農業が地域コミユニティの基盤を形成していることを実感し、食料が身近で手に入る価値を共有し、地域住民と農家が支え合うことで自分たちの食の未来を切り開こうという自発的な地域プロジェクトが芽生えつつある。「身近に農があることは、どんな保険にも勝る安心」(結城登美雄氏)、地域の農地が荒れ、美しい農村景観が失われれば、観光産業も成り立たなくなるし、商店街も寂れ、地域全体が衰退していく。」(P150~151)

「「私」の暴走にとって障害となる「共」を弱体化しようとする動きに負けず、共助組織の役割をもっと強化しなくてはならない。協同組合は、生産者にも消費者にも貢献し、流通・小売には適正なマージンを確保し、社会全体がバランスの取れた形で持続できるようにする役割を果たしていることを、そして、命、資源、環境、安全性、コミユニティなどを守る最も有効なシステムとして社会に不可欠であることを、国民にしっかり理解してもらうために、実際にその役割を全うすべく、邁進すべきである。

市場原理主義による小農・家族農家を基礎にした地域社会と資源・環境の破壊を食い止め、地域の食と暮らしを守る 「最後の砦」は共助組織、市民組織、協同組合だ。集落営農の基幹的働き手さえも高齢化で5~10年後の存続が危ぶまれるような地域が増えている中、覚悟をもって自らが地域の農業にも参画し、地域住民の生活を支える事業も強化していかないと地域社会を維持することはいよいよ難しくなってきている。協同組合や自治体の政治・行政には大きな責任と期待がかかっている。忘れてならないのは、目先の細織防衛は、現場の信頼を失い、かえって組織の存続を危うくするということである。」(P155~156)

「国際的な基準以上に厳しい基準を要求するEU市民の運動の背景には、規制機関に対する信頼の揺らぎがあると思われる。そのーつの象徴的な案件は、グローバル種子・農薬企業の販売するグリホサートの裁判である。除草剤のグリホサートの散布に従事した人が、それによってがんを発症したとして訴えたのである。この裁判で、当該企業が、①早い段階から、その薬剤の発がん性の可能性を認識していたこと、②研究者にそれを打ち消すような研究を依頼していたこと、③規制機関内部と密接に連携して安全だとの結論を誘導しようとしていたこと、などが窺える企業の内部文書(メールのやりとりなど)が証拠として提出された。 企業側は、これらは意図的にごく一部を切り取ったものだと反論している。」(P161)

「日本の基準が緩いことのもうーつの問題は、海外からの日本への輸入は入りやすくなるということである。例えば、除草剤は国内では小麦にかける人はいないが、1章でも述べたように米国では、小麦、大豆、トウモロコシに直接かける。それが残留基準の緩い日本に大量に入ってきて、小麦粉、食パン、しょうゆなどから検出されている。畜産物の成長ホルモン投与も日本では認可されていないが、輸入はザル状態なので、米国からの輸入には含まれている。国産牛肉(天然に持っているホルモン)の600倍も検出された事例もある。農薬自体についても、EUで禁止された農薬を日本に販売攻勢をかけるといったことも起きている(印鎗智哉氏、猪瀬聖氏)。猪瀬聖氏が次のように報告している。

農薬によってはEU内で使用が禁止されていても製造や輸出は可能で輸出する場合は当局に届け出なければならない。今回、グリーンピースとスイスの市民団体パブリックアイが、欧州化学物質庁(ECHA)や各国政府への情報公開請求を通じて農薬メーカーや輸出業者が届け出た書類を入手し、国別や農薬別にまとめた。

2018年に届け出された書類によると、EU内での使用が禁止されている「禁止農薬」の最大の輸入国は米国で、2018年の輸入量は断トツの2万6000トン。日本はブラジルに次ぐ3位で、6700トンだった。日本は単純に量だけ見れば米国の4分の1だが、農地面積が米国の1%しかないことを考えれば、非常に多い輸入量とも言える。欧州やアジアの多くの国や地域では、パラコートだけでなく、除草剤のグリホサートや殺虫剤のネオニコチノイド、クロルピリホスなど、人や自然の生態系への影響が強く憂慮されている農薬の規制を強化する動きが急速に広がっている。国レベルでは規制が緩やかな米国でも、自治体レベルでは規制強化が進み始めている。そうした世界的な規制強化の結果、行き場を失った禁止農薬が日本に向かったり、日本からそれらの地域に輸出できなくなった農薬が、国内の消費に回されたりしている可能性が、今回の調査から読み取れる。(P168~169)

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