高橋克彦著『前世の記憶』1999年2月10日、文藝春秋、310頁、524円

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その133

高橋克彦著『前世の記憶』1999年2月10日、文藝春秋、310頁、524円

静かに怖いです。読んだ日に、うまくいかず苦しくてうなされていた頃のサラリーマン時代の夢を、20年ぶりに見ました。時間の推移を魅力的にうまく使ってある、言わばSFです。何かの時間待ちしているときに、読むと時間があっという間に過ぎていくと思います。
 直木賞受賞作家で、記憶シリーズの第二弾と銘打ってありました。

著者は、次の方です。
「高橋克彦(たかはし・かつひこ)
昭和22(1947)年、岩手県盛岡市に生れる。早稲田大学商学部卒業後、美術館勤務を経て、58年「写楽殺人事件」で第29回江戸川乱歩賞を受賞。その後「総門谷」で吉川英治文学新人賞、「北斎殺人事件」で日本推理作家協会賞を受賞。平成4年「緋(あか)い記憶」で第106回直木賞を受賞。著書に「竜の柩」「パンドラ・ケース よみがえる殺人」「炎(ほむら)立つ」(全五巻)などがある。また、浮世絵研究家としても知られ、著書に「浮世絵鑑賞事典」などがある。」
(カバー裏より)

何カ所か抜粋しておきます。

「気が付いたからにはなんとか予防線を張らなければいけない。滅多に外出せず、家に籠って小説ばかりを書いているかちどんどん記憶が薄れて行くのだ。おなじ日常の繰り返しでは日々の記憶が埋没して当たり前である。旅行や芝居見物がいい。日常から離れた楽しい思い出はずうっと頭に残る。それをたくさん重ねれば進行を防げるような気がする。老人のボケ症状のはじまりは脳細胞の衰えによるものではなく、おなじ日常の繰り返しが一番の原因ではないかと思い付いた。」(知らない記憶、219頁)

「心臓がきりきりと痛くなった。曲が終わっても甘酸っぱい感傷が続いた。私はもう一度この曲を頭出しした。私のような歳になると、昨日に逢いたいという言葉が切実なものとして感じられて来る。失われた時間がどれほど多く、美しかったことか。若さはそれだけで意味がある。あの時間は戻って来ないのだ。繰り返し再生のボタンを押して、町へ着くまでの間、私は「昨日に逢いたい」だけを聴き続けた。幸い車内は暗くなっていた。涙を拭う不様さはだれにも気取られなかった。」(昨日の記憶、280頁)

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