フィリバ・ピアス著高杉一郎訳『トムは真夜中の庭で』1975年11月26日、岩波少年文庫041、358頁、902円

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その137

フィリバ・ピアス著高杉一郎訳『トムは真夜中の庭で』1975年11月26日、岩波少年文庫041、358頁、902円

一連の時間の逆転シリーズものです。
真夜中に古時計が13時を打つ(時計の盤面には13は無いけど)と、現在は無い過去の庭園が出現し、友達と遊ぶというファンタジーでした。

著者は、次の方です。
「フィリパ・ピアス 1920~2006
イギリスの作家。ケンブリッジ州のグレート・シェルフォトという田舎町に生まれた。代々その地で大きな製粉工場を経営する家系だった。ケンブリッジ大学を卒業,のちに英国放送協会(BBC)で学校放送を担当した。『ハヤ号セイ川をいく』で作家としてデビュー。『トムは真夜中の庭で』でカーネギー賞を受賞した。他に『まぽろしの小さい犬』や短編集『幽霊を見た10の話』『真夜中のパーティー』などがある。」(カバーより)

訳者は、次の方です。
「訳者 高杉一郎(1908-2008)
静岡県生まれ。東京文理科大学英文科卒業。和光大学名誉教授。著書に『極光のかげに』『征きて還りし兵の記憶』,訳書にクロポトキン,スメドレー,グレイヴズなど。編著に「エロシェンコ全集」全3巻。」(奥付より)

一カ所抜粋しておきます。
「想像力をもってしても、理性をもってしても、いちばん信じにくいことは、「時」が人間の上にもたらす変化である。子どもたちは、かれらがやがて大人になるとか、大人もかつては子どもだったなどときくと、声をあげて笑う。この理解の困難なことを、私はトム・ロングとハティ・メルバンの物語のなかで探求し解決しようと試みた。物語のおわりのところで、トムはおばあさんの。バーソロミュー夫人を抱きしめるが、あれはおばあさんが、トムがいつもいっしょに遊ぶのをたのしみにしていた少女だとわかったからである。
 庭園は、子どもであるトムとハティの遊び場-共通の広場であった。その庭園が、幼年時代の力づよいイメージをはぐくんだ。塀でかこまれた庭園-古い「閉ざされた庭」hortus conclusus-は、幼年時代の、保護されている安全を意味する。しかし、トムは庭園の高い煉瓦塀にのぼって、遠くの方にひろがっている、子どもの心を誘うような風景のことをハティにおしえてやる。そして、あとになると、こんどはハティが庭園をはなれ、川にそってイーリーの町までくだってゆく。川というのは、人生の象徴であって、たえず流れ、変化し、人間をはこびさってゆく。キャム川は、その凍りついた水面の上を、イーリーの塔のまがりかどのところまでハティをはこんでいった。(私の父は、凍結のひどかった一八九五年の冬に、ケムブリッジからイーリーまでスケートですべっていったときのことを、よく私たちに話してくれたものだ。)ハティは、トムといっしょにイーリーヘいったが、トムをおき忘れて、ひとりでかえってきた。すくなくとも、ハティはもうトムを文字どおりの友だちだとは見なくなった。遊び友だちとしての少年を追いぬいて成長してしまったのである。ハティは、おばあさんになって、思い出のなかにふたたびじぶんの過去を生きはじめたときに、トムをもう一度ちゃんと見ることができた。完全にみとめあったその瞬間に、ハティはむかしのままの少女として、トムの抱擁をうけるのである。おばあさんは、じぶんのなかに子どもをもっていた。私たちはみんな、じぶんのなかに子どもをもっているのだ。」(「真夜中の庭で」のこと、著者フィリパ・ピアスのあとがきより、356~358頁) 

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