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元農協流通研究所理事長 立石幸一さんの投稿ページです。

家族農業を守る政策こそ

コロナに感染して思うこと

世界を襲った新型コロナウイルスの世界的流行(パンデミック)は、多くの人の命を奪い人との接触が制限され、これほどまでの影響を社会に及ぼすことになろうとは、1年前は想像することすらできませんでした。 

昨年1月に中国の武漢にて最初の都市封鎖(ロックダウン)がなされ、その後、2月に横浜港を出港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」での感染が確認され、乗員3,713名のうち、712人が感染し、14人の方が亡くなられました。感染は、世界中に広がり、都市封鎖が各国で行われ、本年3月15日現在の感染者数は、累計1億2千万人を突破し、死者数は265万人となり、国内の感染者数も累計で44万人を超え、死者数は8,645人となっています。

2度目の緊急事態宣言が1月に出され、コロナに関するニュースは、連日マスコミで報道されているにも関わらず、身近な人間が感染したという話は、ほとんど聞こえて来ず、マスク・手洗いをしっかりし、3密を避け、会食を控えれば、自分は大丈夫なのではないかと思い込んでおりました。まさか、私自身が感染し、重症化し危うく命を落としかねない事態になろうとは、思ってもみませんでした。ワクチンの国民への全員接種には相当な時間が必要で、感染リスクは当面続くと思われ、私のコロナ感染の経緯とその後の経験から、あらためて、コロナの怖さと医療現場の実態を、多くの方に知っていただければと思います。

私がコロナに感染し発病した日は、本年1月15日前後と推定されます。今もってどこで感染したのか全く思い当たるところがなく、通勤途上で感染した可能性もあり、無症状感染者からの市中感染リスクは相当広がっているのではないかと危惧しています。

1月19日に医療機関の抗体検査で陽性と判定され、その後は自宅療養となり、保健所から血液中の酸素飽和度を簡易に測定できる「パルスオキシメーター」が自宅に届けられ、体温と酸素飽和度を測り、保健所へ毎日報告しておりました。私の場合は、この自宅療養中に体調が悪化し、体温も38℃~39℃台が連日続き、徐々に体が動かなくなり、入院を要請しましたが、神奈川県内の病院は一杯で入れないと2度断られました。発症後9日目(1月23日)に体温が42℃を超え、酸素飽和度も90まで下がり、翌日(1月24日)に保健所から受入可能な病院の連絡があり、神奈川県内の病院へ救急車で緊急搬送されることになりました。病院の集中治療室へ運ばれた時は、レントゲン撮影で肺は真っ白で酸素飽和度は90を切り、生命に係わる極めて危険な状況でした。

医師から人工呼吸器の装着への意思確認が口頭でなされ、意識朦朧状態の中で合意しました。入院した病院にはエクモはなく、エクモが必要な場合、別の病院へ搬送されると聞かされました。また同時に、医師からエクモは県内の病院には現在余裕がないと説明があり、当時、神奈川県内は、年明け以降、感染者数の急増で医療の現場は逼迫している状況でした。

集中治療室での治療は、呼吸の苦しさ以外あまり記憶はありません。容体は変わらない中、入院5日目(1月28日)にコロナ患者専用の個室に移されました。集中治療室との違いは、部屋には窓があり、携帯電話が使えテレビがあることが違うだけで、集中治療室での治療と同じ治療が続けられました。

専用個室での8日間は、これまでに経験したことがない、思い出したくないほど辛い日々でした。酸素吸入器が常時装着され、最大レベルで酸素が鼻から送り続けられましたが、呼吸ができない苦しさは例えようがなく、この状態がいつまで続くのかと何度も絶望感に襲われたことは忘れることができません。体が動かせなくなり、少し動くだけで肺へ負担がかかるため酸素飽和度が下がり、少し楽になったかと思うとさらに辛い症状が繰返し襲って来ます。あまりの苦しさに意識を失いたいと思うほどです。コロナは急激に重症化するのが特徴で、サイトカインストーム(免疫暴走)が発生し、後に医師から1月30日頃が最も危険な状況で危なかったと聞かされました。医療従事者の方々の献身的なケアと治療がなければ、今、こうして、元の生活に戻ることはできなかったと思います。まさに、身をもって、医療現場の凄まじいコロナとの闘いの実態を知ることができました。

今も重症者に対して、私と同様に懸命な治療がなされていると思うと本当に頭が下がります。病室へ入室する度、毎回防護服を着る作業だけでも大変な労力です。看護師の方々は、動けなくなった患者の排せつ物の処理、体をタオルで拭いたり、時にはマッサージまで行っていましたが、何よりも、常に患者を励ましつづけ、絶望感の中で頑張ろうとする気持ちを失わないようにする心のケアには、感謝の言葉しかありません。

コロナに感染しても、現在、即効性のある治療方法はなく、呼吸がさらに困難な状態になったとき、人工呼吸器を装着することになります。現在、最も効果のある治療法は、うつ伏せで寝る伏臥位療法で、1日4時間以上続けることで徐々に肺の機能を回復させる地道な治療法です。私もこの治療法に一縷の光明を見出し、苦しい中、懸命に取組み、入院10日目(2月2日)にようやく回復の兆候が見え、入院13日目(2月5日)に個室からコロナ患者用大部屋に移り、入院14日目(2月6日)に酸素吸入器を外すことができました。

しかし、2週間ほとんど体を動かすことができなかったことで、歩けないほど筋力は低下し、体重も10㎏減りました。同室のコロナに感染した重症者の方々も、歩けない状態と各々異なる後遺症に苦しんでおられました。私はその後も点滴治療を続け、入院26日目(2月18日)にようやく退院することができました。私は幸いにも味覚、臭覚への異常はなく、現在は倦怠感と動いた後の息苦しさが残るだけです。

コロナを経験して人生感も変わりました。呼吸が普通にできることがどれほど幸せか、日常の普通の生活がどれほど幸せかを実感しています。コロナは、本当に怖い病気です。後遺症もどのように発症するか未だに不明です。コロナとの闘いはこれからも続きます。私が体験したことが少しでも参考になればと思います。皆様、どうか、これかも気を緩めることなく、感染にはお気をつけていただければと思います。                  

再燃「農産物検査制度見直し」への動き

農産物検査制度見直し・撤廃に向けた議論が再燃している。今、またなぜ、同じ議論が繰り返されるのか不思議である。この議論は、内閣府の第二次消費者委員会食品表示部会(2011年9月~2013年8月)にて1年以上も議論し、一定の結論を得たはずである。当時、私は、議論の舞台となった食品表示部会の委員であり、この議論に参加した経緯があるので、当時の議論を振り返ってみたいと思う。

今回の見直し提言の主役は、規制改革推進会議である。規制改革推進会議の主張は、①農産物検査のJAS法へ移行等の抜本的改革 ②卸取引も含め、未検査米への3点表示(産地・品種・産年)を可能にし、補助金交付対象とすること ③「未検査米」の表示義務撤廃の3点である。

当時も農産物検査制度を撤廃したいとする強い動きがあった。この制度が自らの事業遂行上の足かせとなっていると信じている人たちである。この人たちが、今回は規制改革推進会議を巧に利用したものと思われる。規制改革推進会議の面々は、ほとんどが農業の専門知識を持たない委員であり、他産業とは異なる農業の特殊性など理解できるはずもない。このため、一部事業者の主張に基づき、彼らの代弁者となってしまったものと思われる。

 当時を振り返ると、「米トレーサビリティ法」(2011年7月1日施行)の制定に行き着く。この法律により、米及び米加工品を対象に消費者への産地情報の伝達が義務化され、農産物検査法を根拠とせず産地名については、都道府県名等が表示できるという制度ができた。このことから、産年、品種も農産物検査法を根拠とせずに表示が可能ではないか、との民主党政権時代の2010年6月に閣議決定された「規制・制度改革に係る対処方針」に基づく議論が行われたものである。   

 このため、広く意見募集を行い、実態調査を実施し、消費者委員会食品表示部会で、1年半近く合計7回の議論を行い「農産物検査法以外に実効性のある検査、証明の方法の提案が見込めない」と結論を出した。

 この時、委員会で私と対立した消費者団体の主張は、「農産物検査法に基づく証明を受けていない、いわゆる『未検査米』は、袋詰め精米に例えば『22年産』『コシヒカリ』と表示して一般消費者向け商品として販売した場合には、『玄米及び精米品質表示基準』違反となる。しかし、業務用、バラにての販売の場合は、『生鮮食品品質表示基準』が適用され、違反とはならない。品種・産年の表示そのものは一般消費者にとっても利益となりうる事柄であり、ダブルスタンダードで是正すべきである。」というものであった。

この消費者団体の主張はもっともなものであったが、私が再三主張したのは、米の流通の問題である。2012年2月14日の第16回食品表示部会での私の発言要旨は、以下のとおりであり、現在でも消費者委員会のホームページで見ることができる。

『一番川上において、生産者がつくられたお米を、まず、つくった生産者自らが検査に持ち込むというところが基本です。米の流通というのは多段階であり、長期間の貯蔵が可能な点から偽装なども行われてきました。一番川上のところで『品種・産年・産地」をきちんと押さえていく必要があります。特に品種というのは難しく、プロでも簡単には判別できない。米の世界というのは信用取引なのです。農産物検査にこだわるつもりはありませんが、何かほかのやるべき手法があればいいと思うが見当たらない。DNA検査も膨大な金がかかり、実際に現場に一番近いところで生産者の顔を見ながら行う農産物検査が最も合理的であると思います。その生産者が嘘を言っているかどうか、何をつくっているか一目瞭然でわかるわけです。その地域に根差し生産者の近くでやっているわけですから、騙しようがないわけです。その信用を基にずっと商取引は続いているということを、まず申し上げたいと思います。米トレーサビリティ法の中できちんと伝達ができるということであれば、私は大いにやるべきだと思うのですけれども、現実的にはそうではないのです。極めて性善説に立っているわけです。流通業者すべてが善人であれば当然成り立つわけですけれども、法の網をくぐる人間がいるわけです。そこで崩れるわけです。全体の秩序が崩れていく。全体の秩序が崩れたときに消費者、生産者ともに共倒れになってしまうのです。全体の秩序をどうつくるかということを主眼に置いてやるべきであって、生産者と直接取引されている。だから見える関係があり、検査は必要ないとの意見は、それは大いに結構だし、やっていただきたいと思いますけれども、全体がそうでない中で、崩れてきているからこそ、いろんなルールがつくられているわけでありまして、その辺をどういうふうにつくっていくかという点で、もう一回議論すべきではないかと思います。

今の農産物検査法自体は、生産者がお金を一俵50円なり出して負担しているのです。その結果、そのことが担保となって、それが川下の方も含めて流通の中で信用取引になっているということなのです。米の流通は、農産物検査法できちんと証明され、これが袋に証明印として現物に添付され続いている。米トレーサビリティ法だけやるとすると、伝票の中で確認をしていく。その中に悪い人間が1人でも介在すればこれは全部崩れていくわけです。そして、悪いことをしたということがなかなか判別できないのです。だれがどこでやったか。これも当然お金がかかる、検査もかかる、コストもかかる。そういったことでいくと、このトレーサビリティ法の中で限界性があることを申し上げたいのです。』

この時の議論を通じて感じたのは、農業の持つ特殊性がなかなか、理解されにくいことである。そもそも、農業は気候に左右され、人為的コントロールが難しく、さらに規模の小さな農業者も多い中、食糧の安定供給には、一定程度、制度としての仕組みが必要である。しかし、一部の大規模化した生産者や流通業者にとっては、このことは自由な取引の足かせとなっているように見えるのである。また、一般消費者には、農業問題の本質を理解することは難しく、そのような主張が正当性を持つように受け止めれるのである。制度がなくなり、困るのは多くの農業者であり、その影響は実需者、消費者にまで及び、「種子法の廃止」と同様、取り返しのつかないこととなる。このようなことにならないことを願うばかりである。

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