selective photography of flying black falcon

パルシステム生協連合会 顧問(元理事長) 山本  伸司(やまもと のぶじ)さんの投稿ページです。

1.自己紹介に代えて
―首都圏中心に宅配システムで展開するパルシステムという生協の紹介―

  • 食と農の協同による心豊かな社会つくりを掲げる生協であり、宅配による商品扱いで2千億円の事業高。国産農産物の購入による自給率の向上を目指している。一般スーパーとは商品の品揃えと仕入が違う。遺伝子組み換えやゲノム編集にノーである。
  • それを「顔の見える関係」として単なる金銭取引に止まらない人と人の交流事業を推進している。単発ではなく生産組織と産直協議会を結成して通年的な事業として、商品企画・販売からツアー企画まで毎年実施している。マネジメントPDCAを導入して、販売計画とのズレや交流の質的量的内容の検討と課題解決に取り組む。
  • その代表例は、JAささかみ(新潟県阿賀野市)との協議会である。2000年5月には、JAささかみ笹神村・パルシステム連合会の三者による「食料と農業に関する基本協定」を結び、「食料農業推進協議会」を設立し、産直および交流を推進してきた。産地は選ぶのではなく、共に発展していく仲間なのである。その連携組織を自治体も参加して創設した。
  • 減反政策による水田の転作大豆の活用を図るために、JAと生協が大豆を原料とした豆腐の会社を立ち上げた。(株)共生食品と3者で協同出資し(株)ささかみを設立。JAが社長になり、生協と豆腐専門企業が取締役についた。生産と消費を結合した農消連携である。職員25名と販売高3億円の事業を開始した。生産ロスはほとんどない。
  • 交流事業を進化させるために、2004年4月からNPO 食農ネットささかみを設立。JAと生協以外の市民も参加できる母体として、小学校野外活動などや地域交流会も推進している。交流はお定まりの稲刈りなどマンネリ化しやすい。そこを田んぼのいきもの調査など生産現場の体験学習と組み合わせた斬新で魅力的なイベントに高めている。
  • 商品取引の産直事業から、都市と農村の連携による地域づくりへと、総合的な協同組合間提携が発展している。良くある固定産地は相互に甘え合い発展がなくなるという危惧は協議会による企画(Plan)、実施(Do)、点検問題発見課題化(Check)、再実施(Action)によってより魅力的で強力な発展を続けている。

注)ネットJAささかみ 【Youtube掲載】過去の交流ツアー動画集

2.時代は大いなる転換期にある
―ものの見方について思うこと、鳥の目、風の目、虫の目ー

今、世界の若者たちに危機感が広がりタイ、ミャンマー、香港、そしてアメリカ、EUなどで声をあげている。民族や国は違うが共通項がある。富と貧困問題であり、格差の増大問題である。失業、差別、人権問題である。日本では失業と自殺者が急増している。

しかし若者たちの危機感はそれだけじゃない。気候変動、生物の大量絶滅、自然破壊である。もう目に見えて大規模な自然災害など危機が訪れていることだ。若い人たちにとって将来への重大な危機が切実に迫っていると感覚しているのだ。今の腐った社会や国のあり方ではもう生きていけないとその大規模な叛乱が起きている。

日本を代表する巨大流通企業のトップと話していて刺激を受けた。変化対応もさることながら、「物事を見る目」について語ったこと。「鳥の目、風の目、虫の目で見ろ」という。今だけ、金だけ、自分だけの考えではビジネスは成功しない。しかも自分の成長も幸せもやってこない。流されるだけ。

鳥のように大所高所からの全体像を見ること、風の目のように等身大で見ること、虫の目のようにミクロに物事を掴むこと、この三方向から視点を変えながら現実を把握する必要性である。僕は、同時に時間でも同様に数十年、数百年、数万年、数億年という歴史幅で物事を考えることも必要だと思っている。時空感覚を広げることだ。

戦後からの日本を見ても、敗戦後の焦土化した都市と疲弊した農村。そこからバラックのお店を立ち上げ、農村では農協を中心に農業を再興させて食料を生産し供給した人々。そして高度経済成長時代では、農村から若者たちが出ていって都市で就職し成長する企業群を支えていった。農村は人材と食料の供給によって経済成長を下支えした。

しかし高度経済成長から経済停滞期に入ると、都市の流通小売業は価格破壊を掲げて大量消費と使い捨ての風潮を助長し、輸入食品氾濫の時代をつくっていく。農村では中核農家以外は次第に「競争」に負けて衰退し後継者不足に陥っていく。これはたった75年間ほどの間に起こった変化である。

いまはどうか。直面しているのは日本農業の最終局面ともいえる。農村地帯の衰退と限界集落の姿である。これは日本の危機そのものである。これを逆回転させ、さらに発展させることができるかどうか、この課題が日本社会の危機の根本にある問題である。

3.経済とフードシステム
―食と農こそ社会の基本、ではなぜ農が衰退していくかー

経済を考えるとき、小さな原型モデルを想定する。全ては食べ物の生産と流通から始まっている。それは貨幣経済と高度な社会システムを生み出して発展していく。しかし基は畑と田んぼにある。畑から加工、流通、小売、消費までの食の流れをフードシステムといいい、その分業と関係性を考察するのがフードシステム学である。そこで学んだことは、食と農をどうしたらその関係者がWin-Winの「三方良し(近江商人)」になっていけるかである。

ひと昔前は、「川上川下論」を適用して、「川下の」消費者目線が優先して生産はそれに従属すべきといわれた。だが、ほとんどの消費者は生産現場を知らない。キウリが真っ直ぐで太さも揃っているのは人間がそのように作っているからであり、選別して揃えているという当たり前の事実も知らない。実は流通コストの削減のためなのである。「消費者目線」という名の流通、小売業の要求であった。

これに対して生協が曲がったキウリを自然だと説明するとよく売れた。低価格じゃないのに売れた。むしろ曲がったキウリを積極的に選ぶほどである。

現代のフードシステムを考えるときに富の分配を考えること。例えば150円のコンビニのおにぎり。コンビニ企業が100円以上を取り、残りのうち農家にいくら入るか。平均約25円となっている。フードシステムで最も強い企業が、最もたくさんの収入と利益をあげている。競争に勝てば総取りである。

だが、本来フードシステムにおいて農業生産が維持継続できなければ終わりである。たとえ外国からの輸入に頼っていても、コロナ禍のワクチンのようにアメリカ、EUに依存していると日本は輸入制限の中で困窮する。交易、輸入規制の時代では自国生産体制が無い国は危機に陥り、滅びるのである。

農業が大切だといい、理論的に農家に収入を回せといっても無駄である。そうではなく農家こそがフードシステムの中心であることを実践的に証明していく必要がある。その実例と方法を今後紹介していきたい。そしてフードシステムにおけるそれぞれのセクター間の奪い合いではなく、ともにWin-Winの共生社会を目ざすビジョンを展開する。このことが協同組合の未来への貢献なのだと思っている。世直しの思想である。

4.食と農の近未来ビジョンのために
―神々の喪失(哲学の不在)と金銭価値すべて論への反逆をー

フードシステム間に人の心が無く、ただ金だけの取引と結びつきに終わると、その金儲けすらも持続できなくなる。

加工は原料生産あってこそ、流通は生産、加工があってこそ、消費は小売があるからこそ存続できる。依存しあっているのである。そして相互により良いもの、より安全で安定的に持続可能に生産、消費できる仕組みを作り上げていく。こうした社会的使命が求められている。なんのために仕事をしているのか。誰のために組織はあるのか。

農村は、強い農家や企業だけでは維持できない。弱い農家も兼業農家もともに村のコミュニティを支えているのである。日本各地の小さな村に必ず神社がある。いわゆる宗教組織ではなく神事、行事の中心なのである。村人みんなで祈りを捧げお祭りで祝う。五穀豊穣、村の安寧を祈る。共に生きること、村という公有を守ること、これを行事によって代々受け継がれてきた。この村を守るという精神は日本全国の隅々にまで浸透してきた。

明治の外国人イザベラ・バードの記録に示された村のあり様になる。子供を大事にして、はにかみながらも優しく人懐っこい。決して豪奢じゃないが貧しくはなく、美しく花に飾られた村である。忘れ去られた日本人(民俗学者宮本常一)である。

人は、自己の欲望だけでは生きていけない。他者との協同によって生きる。この当たり前の生き方(哲学)をどこで忘れてしまったか。資本主義という仮想の経済システム。金銭的価値を最優先する愚かな仕組み。これを共に生きる心豊かな社会へと大きく舵を切って、自然を大切にした人間労働と平和で豊かな社会を構築してゆかん。

いま求められているのは、雑草のような強靭な魂と多様性を容認し村を愛しお金は少なくとも共に助け合っていくコミュニティの創造である。その基本的価値観(理念)こそ哲学でありひと昔の原型の神社仏閣のアニミズムという自然崇拝である。

何か古臭い右翼の思想の様に見えるかもしれない。しかしこうした価値観は、先端の自然科学が生み出している。フレンツェ大学のステファノ・マンクーゾ「植物は知性を持っている」を読むといい。DNA操作(ゲノム編集)する「知性」のなんと貧困なことか。人間は自然を知らない。

さらに現代の最先端宇宙物理学である。アメリカ、カルフォルニア大学のフィリッチョフ・カプラが語る「物理学理論と東洋神秘思想の相似」を読んだことがあるだろうか。人間と自然、人間と宇宙のこの不思議で素晴らしい世界。全てわかったようなお金で雇われた御用学者たちの「理論」と「知性」の貧弱性。それとは異なり本物の最先端科学は、いにしえの人々の持つ五感と労働の尊厳の意味について理解してきているのだ。

言語(記号)的論理性と単純数学モデルによる社会システム、夢と愛と物語を捨て去ったこの機械論的組織や社会。そして自然を収奪し破壊する社会システムはもう限界である。この大転換は始まっている。世界中の若者たちと共に。この戦いに勝つためには、最先端科学に学ぶこと、そして人類史での「いにしえの賢者たち」に学ぶことから始めよう。農こそ人間の人間らしい営みである。農におけるワンダーランドの世界へ。

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