稲垣栄洋著『生き物の死にざま はかない命の物語』2022年2月8日、草思社、258頁825円

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その60

稲垣栄洋著『生き物の死にざま はかない命の物語』2022年2月8日、草思社、258頁825円

暑い夏に、農作業や事務作業を休憩して、一息つきたいときにオススメしたい読み物です。久々に良い本に出合えましたよ。

身近な生物、植物について農学者らしい理系の目でもって解説しているが、哲学のような趣のある本でした。

著者の稲垣栄洋(いながきひでひろ)氏の略歴を抜粋しておきます。

「1968年静岡県生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士。専門は雑草生態学。岡山大学大学院農学研究科修了後、農林水産省に入省、静岡県農林技術研究所上席研究員などを経て、現職。」(扉カバーより)

いつものように、チンパンジーが印象に残った幾つかを抜粋しておきます。

「アキアカネやナツアカネは、幼虫のヤゴの時代を水田で過ごす。田んぼに水が入れられると、卵から孵ったヤゴたちは、田んぼの水の中の微生物や小さな虫などをエサにして暮らす。やがて初夏になると、羽化してトンボになるのだ。

ところが、アキアカネやナツアカネは、夏の暑さが苦手である。そのため、アキアカネは涼しい山の上に、ナツアカネは近くの雑木林の木陰に移動する。そして秋になって涼しくなってくると、田んぼに戻ってきて土の中に卵を産み、翌年の田植えの時期に卵からヤゴが孵るのである。

こうして、赤とんぼたちは田んぼと周辺の山や林を回遊しながら命をつないでいる。

田んぼから高原や山の上へと大移動する、アキアカネの群れは圧巻だ。

ところが、である。最近では、アキアカネやナツアカネは絶滅が危惧されるほどめっきり減ってしまった。その原因の一つは冬の田んぼにある。

アキアカネやナツアカネは、田んぼのトンボである。山や林から戻ってきたトンボたちは、秋の田んぼに卵を産む。ところが、最近の田んぼは排水がよくなるように整備されているので、冬の田んぼはよく乾く。昔だったら、冬の間も湿っていた田んぼの土が、カラカラに乾いてしまうのだ。この乾燥で卵が死んでしまうのである。

 さらには、最近、利用されている新しい農薬も赤とんぼに大きなダメージを与えているのではないかという指摘もある。小さな害虫が米の汁を吸うと、米に小さな斑点が残ってしまう。米は見た目で価値が決まるから、この斑点を作らないために、農家は農薬をまく。この農薬は、人問やイネに対する毒性が低い一方、昆虫に対しては強い効き目がある。この農薬が赤とんぼにもダメージを与えているのではないかと推測されているのである。

 農薬というと農家の人が悪者にされがちだが、そうではない。米についた小さな斑点を許容できない人たちが、田んぼに農薬をまかせているのだ。

 日本人に親しまれたナツアカネやアキアカネが、入知れず姿を消している一方で、ウスバキトンボは頑張っているようだ。ウスバキトンボの群れは今でもよく見かける。」(19 ウスバキトンボ 熱帯からの日本行きは死出の旅、179~181頁)

「小さなハチは、一匹や二匹で飛びかかるのではない。数百匹で次々に飛びかかり、ついには、オオスズメバチを覆い尽くすのである。

 もちろん、最強の昆虫であるオオスズメバチがそれだけでやられてしまうはずもない。

 小さなハチたちには、次の作峨がある。ハチたちは、筋肉を収縮させたり、羽を細かく動かして、体温を上げていく。そして、中にいるオオスズメバチを蒸し殺してしまうのである。

ハチたちが大勢で寄り固まってかたまりを作り、オオスズメバチを殺してしまうこの作戦は「熱殺蜂球」と呼ばれている。

 蜂球の温度は四六度にまで上昇する。オオスズメバチはおよそ四五度の温度で死滅する。一方、小さなハチたちは、四九度近くまで耐えることができる。このわずかな差を利用して、オオスズメバチだけを殺すことができるのである。

 この小さなハチは、名を「日本ミツバチ」と言う。文字通り、日本のミツバチだ。

 私たちが、ふだん目にするハチは、海外から導入された「西洋ミツバチ」である。西洋ミツバチは、養蜂のために明治時代に導入されたものだ。西洋ミツバチが導人されるまでは、日本ミツバチは、日本のあちらこちらで見られた。ところが、西洋ミツバチが分布を広げると、日本ミツバチは次第に追いやられ、今では山に近いところで生息している。

 日本ミツバチは、女王蜂は三~四年の寿命で卵を産み続ける。そして、卵から孵った働き蜂たちが、エサを集めたり、幼虫の世話をしたりとかいがいしく働くのだ。働き蜂の寿命は暖かい季節では、一か月程度と言われている。

 この一か月の間に何もなければ、働き蜂にとっては平穏な毎日が繰り返される。

 しかし、いざオオスズメバチに襲われれば、働き峰たちは、命をかけて強敵に挑むのだ。

 日木ミツバチがオオスズメバチに対する集団的な戦い方を発達させてきたのに対して、西洋ミツバチは、日本に棲むオオスズメバチへの対抗策を持たず、彼らの襲来に太刀打ちできない。

 西洋ミツバチは勇敢にオオスズメバチと峨うが、戦った結果、全滅してしまうことも珍しくないのだ。」(23 日本ミッバチ 世界最強のオオスズメバチに仕掛ける集団殺法、214~217頁)

「100キロを全力で走れ、と言われてもとても走ることができないのと同じようなことだ。それでは、10メートルだったらどうだろう。10メートル先には、次の走者が待っている。次の走者にバトンを渡すまでの与えられた10メートルだけを走るのだ。これならば、全力で走り抜くことができるのではないだろうか。そして、10メートルずつリレーしながら走った方が、結果的には100キロ先まで、確実に、そして迅速にバトンを運ぶことができるのではないだろうか。

 植物が短い命に進化した理由もまさにここにある。長すぎる命は天命を全うすることができないかもしれない。そのため、与えられた命を全うし、生き拔くために植物は、短い命を選択したのである。

 草の中でも「雑草」と呼ばれる植物は、さらに特殊な進化を遂げている。そして、短い命をリレーすることで、困難な環境で命を生き抜く術を発達させている。

草取りをされるような場所でも、草取りをされるまでの短い間に、花を咲かせて種子をつける。

 きれいに草取りをしたつもりでも、すぐに土の中の種子が芽を出してくる。そして、しばらく経って草取りをしようと思えば、雑草はその拍子にパラパラと種子を落とす。中にはカタバミやタネツケバナのように小さな種子を弾き飛ばして、人間の服に種子をつけてしまうものもいる。こうして衣服についたまま人間が移動すれば、種子もどこかへ運ばれて、新たな場所へと分布を広げていくのだ。

 雑草にとって、もっとも重要なことは種子を残すことである。次の走者にバトンを渡すことである。

 アスファルトの隙間に生えた小さな雑草も、必ず花を咲かせる。そして、一粒でも二粒でも種子をつける。たとえ、わずかであっても必ず種子を残す。それが雑草の生きる目的である。雑草はただなんとなく生きているわけではないのだ。

 草取りされたときに、種子が熟していない場合もある。

 それでも、抜き捨てられた雑草はあきらめない。根は干からび、茎や葉も枯れ果てながら、雑草は、ある限りの水分や栄養分を種子に送り込む。そして、自らは萎れながら、種子を実らせていくのである。」(24 雑草 なぜ千年の命を捨てて短い命を選択したのか、227~230頁)

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