どうなる准組合員問題~固唾を飲む関係者           宍道太郎

オットセイ

「准組合制度5年後見直し(准組合制度は准組合員制度の誤植ではないか~筆者)」と題して、元農水省官房長の荒川隆氏が2021年3月23日付けの日本農業新聞で論評している。荒川氏には「農業・農村政策の光と影」の著作があり、現在JA全農の経営管理委員を務めている。周知のように、准組合員の事業利用規制問題は、JAグループが農協の中央会制度の廃止と引き換えに5年間の猶予を与えられたほどの重要課題である。

筆者は、准組合員問題についての核心は、農協が「農業協同組合」なのか「地域協同組合」なのか、組織の本質が問われている問題としてとらえるべきと思っている。こうした観点から、荒川氏の論評を考えてみたい。

まず、荒川氏はこの論評の中で、農協に准組合員制度が存在するのは、農地の存在があり農業者の経営発展を支えるためにも地域との共存・協調が求められるとしているが、果たしてそうか。もちろんそのような面もあろうが、筆者の管見によれば、基本的には准組合員制度は、農協が戦前の地域組合たる産業組合(戦時は農業会)の農家でない組合員を農協の組合員として受け入れるための措置と聞いている(もちろん元行政トップとして荒川氏は、そんなことは先刻ご承知であろう)。

また、荒川氏は地域に生活インフラが整備されていないところには、地域住民へのサービス提供のために農協の存在が不可欠として准組合員制度が必要という。いわゆる地域インフラ論である。だが、このインフラ論は、都市化地帯などインフラが整備されているところでは、准組合員制度は不要との議論を招くという致命的な欠陥を持つ。今やほとんどの地域において地域インフラは整備されているからだ。この地域インフラ論は、JAグループの准組合員問題の根幹の論拠になっており、農協法改正における衆参両院の付帯決議にもなっている。

荒川氏はこの論評の中で、「農協法の改正を俎上(そじょう)に載せるのか」とも言及しているが、もしこれが農協を地域組合としての改正もしくはその性格を持つ組織としての改正を想定されているとすればそれは不可能と言っていい。それは農水省トップを歴任された荒川氏自身が最もよく理解されているはずだ。

いずれにしても、もともと准組合員の事業利用規制問題は、総体としての農協の准組合員(非農家)が正組合員(農家)を上回る事態になって、農協がはたして農業協同組合なのかという組織の本質を問われている問題としてとらえるべきであろう。

とすれば、農協における准組合員の位置づけをどのように考えていくのかが今後の准組合員対策を前進させるための大きなポイントになる。それは、荒川氏が言われるように狭隘な職能組合論にとらわれないための対策でもある。

農協における新たな准組合員の位置づけを行うためには、農業に対する考え方を変えていかなければならない。これまでのように農業は生産者によってのみ支えられているという考え方からは、有効な准組合員対策は出てこない。准組合員をこれまで通り農協に繋ぎ留めておくには、准組合員は食の安全・安心の面から農家・正組合員とともに農業を支え、農業振興に貢献する者であると考える新たな発想が必要である。

全中は、もう30年以上も前の1986年に総合審議会で決めた准組合員の位置づけを「協同組合運動に共鳴する安定的な事業利用者」として変えていない。これを時代の要請に応えて、准組合員とは「食と事業利用を通じて農業に貢献する者」とすべきではないか。

実はJAの自己改革とは、この見直しの5年間にこうした対策を組合員の議論にかけて自ら解決策を探る期間であったはずである。だが現実には、JAグループは准組合員問題を2019年の参議院選挙対策として自民党にその解決をゆだね、ひたすら地域組合として既得権益を守っていく戦略をとった。結果は「組合員の判断」、「准組合員の意志反映」であり、その本当の意味は誰に聞いてもわからないという摩訶不思議な状況を生んでいる。むろん、JA・組合員段階での議論が行われることになっていない。

そして、荒川氏の言うように今や「関係者は固唾を飲んで見守る」結果になったのである。そこに肝心な組合員の姿はない。安倍内閣に代わった菅内閣はコロナ対策に追われ、また農協の自己改革の進展もあり状況は「好転」してきているともいわれるが、結果はどうなるか予断を許さない。

だがいずれにしても本質的な議論が行われない限り、この問題はその後も蒸し返されることになるだろう。農協が事実上、信用・共済事業について、員外利用制限を回避する対策として利用してきた准組合員対策は、農業振興の観点からも、またマイナス金利の長期化による信用・共済収益確保のビジネスモデルの転換要請からも抜本的な見直しが迫られている。ピンチをチャンスに変える自らの対策を考え、国民参加の議論のもと助け合いの力を結集することこそが自主・自立の農協運動である。

これまで筆者は「創造か破壊か~JA准組合員問題の衝撃と対策」(2019年全国共同出版刊)で自らの主張を述べてきたが、JAの反応は鈍い。また、自身がJAの准組合員として、地元JAにも新たな准組合員対策の必要性を訴えてきているが、その答えはいつも同じだ。「准組合員問題については全中の指導・方針に従って適正に行っている」の一点張りだ。

それは、事実上、土地持ち非農家の地主農協としてよそ者の意見を受け入れない排他的な農協の姿勢ともとれるし、全中を自ら運動を起こさない言い訳の存在として考えているともとれる。中央会制度が廃止された今、事実上中央会制度、言い換えれば行政の力によって展開されてきた農協運動が自主運動組織に転換できるのはいつの日になるだろうか。それには、今後なお長い時間がかかりそうだ。

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