大内力著『農業の基本価値』創森社、2008年10月1,760円

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その45

大内力著『農業の基本価値』創森社、2008年10月1,760円
日本のマルクス経済学者の第一人者の大内力先生が亡くなる直前のエッセイ風の本です。とても読みやすい本です。随分久しぶりに大内先生の本に接しました。このホームページにも投稿いただいている鈴木先生の論調にも通ずる正統派の主張が淡々と述べられています。
日本農業の行く末が気がかりな方に一読をお勧めします。元気が出ると同時に、現在の新自由主義満杯の政府の動向に落胆しますが。
大内力先生の略歴を引用しておきます。
「大内力(おおうちつとむ)
1918年、束京都生まれ。束京帝国大学経済学部卒業。日本農業研究所員、束京大学教授、信州大学教授を経て現在、日本学士院会員、経済学博士、東京人学・信州大学名誉教授。
これまで農林漁業基本問題調査会、米価審議会、農政審議会、農林水産技術会議、中央職業安定審議会などの委員・会長を歴任。また、全国大学生活協同組合連合会会長理事、(財)生協総合研究所理事長、雇用審議会会長なども歴任。わが国を代表するマルクス経済学者で、マルクス経済学のほとんどすべての分野にわたってすぐれた業績をあげる。
著書に『日本資本主義の農業問題』『日本農業の財政学』『日本農業論』『アメリカ農業論』『現代アメリカ農業』『地代と土地所有』『国家独占資本主義』ほか多数。共編著に『日本の米を考える』(全四巻)。目下、『大内力経済学大系』(令8巻。7巻まで既刊)の完成に力を注いでいる。」(奥付より)
いつものように、チンパンジーが紹介する抜粋です。
「日本を例外として、いずれの先進諸国も、国内に一定規模の農業生産および生産の場たる農村を維持しようとして、相当手厚い農業保護政策を実行してきています。その点でわれわれに最も強い印象を与えるのはイギリスを含むEC(欧州共同体。一九六七~九三年。現在あるEUI欧州連合の前身。94頁の註参照)諸国です。EC諸国の農政の具体的内容については、以下の各章でまた立ち戻りますが、いずれにしても第二次大戦後、統一農業政策のもとで手厚い保護政策をとってきた結果、EC諸国の農業生産が大いに強化されたことは疑いありません。もともと農業の比重が伝統的に大きかったフランスが、世界屈指の食料輸出国になったことはまだしも、19世紀を通じて自由貿易政策を貫いた結果、第一次大戦ころにはいまの日本以上に農業を失っていたイギリスが、最近では自給を達成したのみか、食料輸出国に転化したということは驚異としか言いようがありません。
いま世界の主要国のなかで、絶えず食料自給率を低下させ、輸入依存体質をますます強めているのは、日本とソ連ぐらいのものでしょう。ただ、前者はいわば喜々として、後者は危機感を深めつつ渋々といった差があるのですが……。」(プロローグ 理念と哲学を喪失した日本の農政、P18~19)
「地域性を無視した中央集権的な口出し
こういう農政の基本的な誤りのはかに、農業をだめにするようなやり方がいろいろあります。そのひとつは、あまりにもこと細かに農林水産省なり県なりが中央集権的に口出しをして (その点もソ連に似ています。ソ連の場合には強制でやるわけですが、日本の場合には、補助金を鼻の先にぶら下げて、それで釣りながらやるのです) 、政策的誘導をしてきたことです。そのことが、農民の自発性とか創意工夫とかを失わせるだけでなく、地域の特殊性を無視して、千篇一律、どこでも同じようなことをやらせる結果を生んでいる、といっていいでしよう。」(第3章 立て直しを迫られる日本の農業政策、P155)
「これまでの観点に立って考えると、日本人、日本政府の従来の農林業にたいする対応の仕方は闘題の本質を完全に逸しているとしかいいようがありません。ウルグアイ・ラウンドの場でも、日本は農産物貿易の自由化の意義を根本的に問いなおすといった問題提起は何もしないで、それはやむをえないとか、ある程度理由があるといった態度で臨んでいます。そこでせいぜい主張しているのは、「日本の食料の安全保障についてもすこし考えてくれ」という程度の話にすぎません。
しかし、問題はじつは深刻な地球的な問題なのです。「ただ自由貿易を拡大するのが、世界の福祉、あるいは経済発展のためにいちばんいい」というような従来のものの考え方をここで根本的に考えなおして、「一次産品貿易を拡大することにはしかるべき限度を置かなければいけない。その限度を破ると、輸出国にとっても輪入国にとっても破壊的な意味をもつ」という点をはっきりと認識してこの問題に対処する必要があるのです。
われわれは、政府がそういうことを国際的に堂々と主張して、ガットのなかでも「農産物については貿易を合理的に管理することが、地球上の全人煩が生きていくためのいわば基本的人権である、基本的権利である」ことを国際的に認めさせる努力をすることを望みます。いつまでも輸出の利益にしがみつき、経済的利益の追求にのみ汲々としているエコノミック・アニマル的対応は自滅の道でしかないのです。
フロンや二酸化炭素(CO2)の規制にしても、野生生物の輸入禁止にしても、事は同じです。「経済成長との両立が必要だ」などといって、国際的非難を浴びるまで積極的に動こうとしない日本政府は、いったい何に本当の価値を見いだそうとしているのでしょうか。日本の大企業の対外進出の利益のみを優先させて、相手国の環境を大々的に破壊し、多くの住民を路頭に迷わせるような対外援助(=ODΛ)をますます拡大しているのは、いったい、何のつもりなのでしょうか。「まさにエコノミック・アニマル的発想しかない」といわざるをえない事態です。こういう日本の状況を恥じない、悲しまない国民が多い、とうのも驚くべきことでしょう。」(エピローグ エコノミック・アニマルから環境先進国へ、P206~208)