太田原高昭著『農文協ブックレット10「農協の大義」』2014年8月10日、農山漁村文化協会、880円

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その76

太田原高昭著『農文協ブックレット10「農協の大義」』2014年8月10日、農山漁村文化協会、880円

中央会制度を崩壊させる契機となった規制改革会議の「農業改革に関する意見(平成26年5月)」に対する意見書である。痛烈な批判書でもある。全中が一般社団となって監査権限と農政の建議機能を剝奪された今日に、改めて読んでみても、少しも違和感を感じない。

惜しい先生を亡くしたことを改めて残念に思うし、全中教育時代に旧JAビルの地下で親しく懇親したことを思い出す。

また、新世紀JA研究会で准組合員対策を取りまとめているが、今から7年も前に既に、准組合員を農家のサポーターと位置付けている。サポーターは、多い方が良いという表現は見事である。「准組合員単なる事業や施設の利用者ではなく、農協および組合員農家の重要なサポーターとして位置づける必要がある。准組合数が多すぎるという批判があるが、サポーターは多いほうがよい。そしてサポーターを喜ばせるプレーをしなければならない。」(農協の准組合員をどう見るのか、62頁)

著者の略歴を次に記しておきます。

「太田原高昭(おおたはらたかあき)

1939年福島県会津若松市生まれ。1968年北海道大学大学院農学研究科博士課程単位取得。1990年北海道大学教授(農業協同組合論講座担当)。同人農学部長、大学院農学研究科長、日本協同組合学会会長。日本農業経済学会会長などを経て、2003年北海学園大学経済学部教授。

 現在、北海道大学名誉敦授、北海道地域農業研究所顧問。主な著書「明日の農協」(共著) 1986年農文協、「系統再編と農協改革」1992年農文協、「農業経済学への招待」(共編著)2001年日本経済評論社、『新北海道農業発達史』(編著) 2013年北海道地域農業研究所、「農業団体史・農民連動史」共編著2014年農林統討協会」(奥付より)

以下、いつものようにエッセンスを抜粋しておきます。少し引用が多くてすみません。詳細知りたい方は、購入して損は無いと思いますよ。

「協同組合制度は、戦後経済政策の理念としての「経済民主主義」に深く組み込まれていた。経済民主主義とは、自由主義経済を大資本の一人勝ちにするのでなく、中小企業や自営業者を含む多様な経済主体の活動が国民経済を奥深く豊かなものにするという考え方である。大企業だけで経済の全ての分野をカバーすることはできないし、また大企業の存立のためにも中小企業業、自営業を必要とする。財閥解体や農地改革もこの理念に基づいて行なわれ、その成果を持続発展させるために独占禁止法や農地法が制定された。協同組合立法も同じ文脈に沿うものである。

 協同組合は、産業革命後のヨーロッパにおいて成立したもので、大が小を駆逐する資本主義の法則に抵抗して、小の経済を結束して大きな経済を創り出し、市場において大資本と対等に競争するための組織体である。人類の知恵の所産といってよい。それは実際に世界の各地で白営業者や中小企業者を没落から守り、消費者の発言力を高めてきた。とくに西欧諸国が、分厚い中問層に支えられた奥深い経済社会をつくってきたのは、協同組合によるところが大きかった。

 戦後の日本では、「農地改革によって誕生した自作農が再び小作農に転落しない」ことを旨として農業協同組合法が制定され、さらに漁民には漁業協同組合法が、中小企業者には中小企業等協同組合法および信用金庫法が、消費者には消費生活協同組合法がそれぞれ制定された。経済生活の隅々まで協同組合が組織され、それによって小さな経済が守られるというのが、戦後改革の大きなテーマであった。

 『意見』には、こうした協同組合の位置づけについての見識が見当たらないだけでなく、協同組合そのものについての初歩的知識さえ欠落しているのではないか。それはおそらく、小さな経済は市場から退場すればよいと考え、それが集まって大企業と対抗することなど想定していない彼らの経済学の欠陥からくるものであろう。自ら「非連続」というように、『意見』が経済民主主義の理念とは無縁な強者の論理に立脚していることは明らかである。」(戦後レジームからの脱却と“非連続な”農業・農協改革、10~11頁)

「農協の信用事業がまさに事業として展開しているのは単協の現場においてであり、それは営農指導事業や雌買事業、販売事業など総合農協の他部門と密接にむすびついている。信川事業が安定してはじめて経済事業が機能し、経済事業が機能することによって信用事業がさらに安定して農協と組合貝を支えるのである。このような信用事業の役割は、組合貝一人ひとりの営農と生活実態を熟知し、総合農協の事業全体に通じた農協マンを必要としているのであって、窓口業務で代替できるものではない。」(単協から切り離せない信用事業と共済事業、37頁)

「共済事業は、確率理論に基づく一体性の強い事業であるから、全国連合会である全共連が事業の中心であるように見える。しかし共済事業も単協の事業なのであり、連合会の主要な役割は再保険にある。農協共済の加入者は元請けである単協と契約しているということを忘れてはならない。したがって加入手続きや掛け金の集金といった窓口業務だけでなく、査定と保障(支払い)の実務も単協が行なっている。」(単協から切り離せない信用事業と共済事業、37頁)

「多くの都市においても、准組合貝は農協経営を支える重要な要素となってきており、その位置づけの明確化と独自の対策が必要となっている。先進的な都市農協の経験では、准組合員にはさまざまな人がいるけれども、農業の在り方やその将来についてかなりの関心と知識をもつ人も多い。また直売店などを通じて地元の農業を応援しようという意識も高い。ただしそれは消費者としての関心の持ち方であって、農業者の組織である農協に正組合員などのかたちで直接参加しようとするものではない。

 農協は今、このような市民、消費者に取り囲まれていることの意味を深く考え、准組合員単なる事業や施設の利用者ではなく、農協および組合員農家の重要なサポーターとして位置づける必要がある。准組合数が多すぎるという批判があるが、サポーターは多いほうがよい。そしてサポーターを喜ばせるプレーをしなければならない。

 サポーターを喜ばせるプレーとは何であろうか。それは地域の農業の力強い発展を実現することであり、それを通じて地域社会の活性化に貢献することである。また地域と国全体の農業発展を妨害するものに対しては断固として闘い、発展のための条件を勝ち取ることである。准組合貝や地域住民が農協に期待することは、やはり「農協らしさ」であり、農協にしかできない機能の発揮なのである。そうしたプレーを見せることのできない農協はサポーターから見放されることになる。」(農協の准組合員をどう見るのか、62頁)

「行政が農協の力を借りないで農政を遂行できるかは疑問である。構造改善事業にしても、生産調整にしても、集落の中まで入り込んで農家を組織したり誘導したりすることは、行政はもともと苦手である。集落は「行政区」でもあって区長がおかれているが、それは非農家を含めた連絡組織であり、農業に関することは農家だけで構成する農事実行組合の場で決められる。農協の強みは、実行組合を基礎組織として集落の内部から農家を動かせることである。それが行政の農協依存の基本的要因となっている。

 そのことはおそらく今後も変わらないであろう。行政がこれからも国民の利益に沿った積極的な農政を行なおうとすれば、例えば農業基本計画に明記されている食糧自給率50%を本気で実現しようとするならば、それは必ず現場からの取り組みを必要とし、農協の力を借りて集落を動かさなければならない。集落からの取り組みを必要としないような農政を続けるなら、農水省自体が不要とされる日がやってくることになろう。行政にとって真に必要なのは「制皮としての農協」ではなく、対等なパートナーとしての自立した農協である。」(行政と農協の関係はどうあるべきか、66頁)

「植物工場は「太陽の代わりにランプを、土の代わりに水耕液を、篤農家の代わりにコンピューターを」という完全閉鎖・人工光による栽培施設で、政府が多額の補助令をつけ、2013年3月で全国に153か所設置されている。

 ところが現在その運営会社のほとんどが赤字だという。赤字でも増え続けるのには理由がある。産業競争力会議には「植物工場分科会」があって、鹿島建設、清水建設などのゼネコン、東京電力などの電力会社、日立プラントなどのプラントメーカー、その他新日鉄、シャープ、住友ほかの大企業が名を連ねている。政府から湯水のように補助金を引き出してきたこれらの企業は、施設ができ上がり資材や電気が売れればそれでいいのであって、その後の経営にはあまり関心がないという。まるで会員権販売で元を取り、「後は野となれ山となれ」だったバブル末期のゴルフ場開発のような話ではないか。

 これまでも、借地であれば企業の農業参入は自由だったのであり、参入と撤退が繰り返されてきた。農業サイドが株式会社の農地所有に強く反対してきたのは、企業農業のこれまでの実績に信用がおけなかったからである。

 『意見』では、企業は農業委員会の許叮を受け、かつ農地中間管理機構に後の管理を頼めばいつでも撤退できることになっている。これでは核のゴミ貯蔵施設と同じように「中問」が「終末」となる不安は消えない。」(消費者、国民と共に歩む農協へ、86頁)

「兼業農家を農業の担い手から峻別し、彼らが農業構造の改革を妨げていると考え、したがって彼らが組合員の多数を占める農協を解体しなければならないとする発想では、とうてい農業と農村を動かすことはできない。専業農家といい、認定農家といい、兼業農家といっても、いずれも集落の対等平等な構成員であり、その総意でむらは動く。そこに働くのは排除の論理ではなく、共益の論理であり、相互扶助の精神である。

 農業基本法いらい、農政はこうした農業集落の論理に気づかず、または無視して構造改革を追求してきた。農基法の産みの親とされる東畑精一博士が「自立経営をつくろうとする政策に対して、農家が総兼業化という方法で抵抗するとは思わなかった」と慨嘆し、「構造改革は失敗だった」と述べたことは有名である。これからも兼業農家の存在を否定するような政策に対しては、農家も農協も強い抵抗を続けるであろう。

 農家にとって最も大切なことは、先祖伝来の農地を守って現在の上地に仕み続けることである。兼業化というのは、社会経済的な環境変化に対応して、この目的を貫くために彼らが選んだ生き方である。彼らは逆風の中をしたたかに生き抜いて農地と山林を守り、米や野菜の過半を生産し、わが国の環境を守ってきた。そのことが都市生活者にとってどれだけ大切なことかということについても、最近では理解が深まってきている。

 兼業農家の存在が担い手の育成を妨げているという見方も誤りである。すでに見たように、どの集落でも担い手育成には熱心に取り組んでいる。担い手育成が進まないのは兼業農家が邪魔をしているからではなくて、政策が邪魔しているからである。政策が農業の将来展望を壊しているからである。もし政府が、TPP交渉から脱退し、食料自給率を上げると宣言したならば、補助金などつけなくても担い手はぐんと増えるであろう。逆にTPPと今回の農業改革案で農業への夢をあきらめた若者がどれだけの数に上るだろうか。」(消費者、国民と共に歩む農協へ、88~89頁)

「18世紀イギリスの経済思想家アダム・スミス(1723-1790)である。彼は「レッセーフェール」(自由放任)、夜警国家(小さな政府)など新自由主義者が好きなことばの元祖であるが、スミスの自由主義とは、強力な絶対王政の規制に対して、勃興しつつあった商工業者の営業の自由を確立して国民経済を富ますことであった。強者の規制を抑えて弱者の権利を拡大するのがスミスの経済学である。新自由主義は反対に、強大な力をもつ大企業、グローバル企業の側に立って、彼らの思いどおりにできる政策を主張する。これで同じ自由主義だと言われたら、スミス先生は浮かばれない。

 もう一人は松下幸之助である。松下翁は熱心な報徳主義者で、誰よりも従業員を大切にし、「売ってよし、買ってよし、世問よし」の商人道と報徳主義を結び付けて大ナショナル(現パナソニック)を築いた。立花隆が[日本一の農協]と讃えた北海道士幌農協の太田寛一(元全農会長)とは報徳の縁で意気投合し、農協の仕組みに強い関心をもって士幌を2度も訪問している。いま政界に新自由主義者を供給しているのは松下政経塾だが、そこではどんな教育が行なわれているのだろう。松下翁が聞いたらおそらく卒倒するのではあるまいか。」(消費者、国民と共に歩む農協へ、88~89頁)

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