岡本重明著『農協との「30年戦争」』文藝新書737、2010年1月、文藝春秋、770円、189頁)

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その78

岡本重明著『農協との「30年戦争」』文藝新書737、2010年1月、文藝春秋、770円、189頁)
読んでいてつらい本でした。誤解もあると思うが、農協人との出会いに恵まれなかった人なのかもしれません。有名なJA愛知みなみ管内で農協を脱退して農業を頑張っている方の意見書です。
全国で、農業経営コンサルティングに取り組み始めているときに、「農協の職員なんて、自分でリスクを取ったことのないサラリーマンなのだから、そもそも経営指導なんてできるはずがない」という文章に接したときは、うっというため息が出ましたよ。
著者の紹介は、次の通りです。
「1961年愛知県生まれ。愛知県立成章高校卒業後。祖父の跡をつぎ就農。93年に農業生産法人・有限会社新鮮組を創業。2001年には農協から脱会し、企業としての農業を目指している。現在は水田120ヘクタール、畑3ヘクタールを自作し.ブロッコリー、キャベツ、大根等を生産するほか、約80ヘクタールの水田の耕作を請け負っている。会社のキャッチフレーズは「頑張る農家の応援団」。年商約1億2000万円。」(奥付より)
いつものように、エッセンスを抜粋しておきます。
「地元の農家からは「農協の指導通りやったら経営状態が悪化した」という話もよく聞く。農協の職員なんて、自分でリスクを取ったことのないサラリーマンなのだから、そもそも経営指導なんてできるはずがないのだ。農協職員に経営を教えて下さいと頼む方が間違っているのかもしれない。」(第4章 農協が農家を潰す、100~101頁)
「生産コストを下げる為には、農家の持つ設備の能力を最大限に生かすことが必要不可欠である。すなわち減反ではなく、一人の農家が大規模化していくことである。生産過剰となった場合には輪出し、国内マーケットに対する供給量の制限をかけることで、価格の安定を図る政策や、生産原価を作業効率の向上によって下げることで、輸出においても利益の確保につながることも可能と考えている。」(第6章 消費者・市場を意識せよ、144~145頁)
「国内外の消費者の求める農産物を生産するための具体的技術を実践指導できる能力と、具体的販売戦略を構築する能力を持った営農指導者が必要である、と考えている。「補助金消化能力」はもはや川がない。
売れる農産物とはどのようなものか。輸出するためにはいくらまで生産コストの削減が必要なのか。輪出対象国においてはどのような農産物が売れるのか。種類や、安全基準などのマーケット調査も必須であろう。
また行政は、農業政策の実行を農協などの既存の農業団体に今までと同じように依存し、自らは動かずに責任を回避している限り、消費者の求める農産物の生産指導はできない。営農指導者には経営的センスも求められている。
既存の農業団体には、消費者の求める農産物の生産や、利益を得るための農業経営を指導することが不可能になっていることを認識しなければならない時代が来た、と私は考えている。
ひとつには貿易実務に対する規制の見直しや、検疫などの業務の簡素化を複合的かつ具体的に解決しなければならない。また、新規農家が参人できるための法改正なども必要となる。
問題が山積しているにもかかわらず、行政はこれまで具体的対策を立てることには及び腰だった。立派な肩書きを持つ営農指導員は、農業団体や関連機関には昔からたくさん働
いている。彼等の指導の結果はどうであったのか? 現在の日本農業の惨状が、彼らの能力を雄弁に物語っている。
なぜ、遊休農地が増えたのか?なぜ、農業は衰退していくのか?関連団休や指導機関は為替が動くと、「円が安いから資材が高くなり農業経営を圧迫している」などと外的要因が農業経営の厳しさにつながっているとの説明を繰り返すばかりだ。
豊作になると、「天災がこないから豊作貧乏で安い」などの決り文句を繰り返すだけだ。自らの政策の失敗を認めるどころか、なんら対策を講ずる能力もないのが現実ではないか。新しい農業の振興を具体的に実行することのできる新たな団体の設立が必蹙ではないか。このまま手をこまねいていては、「餓える日本」が現実のものとなりかねない。」(第6章 消費者・市場を意識せよ、153~154頁)
「食糧を生産する農業にとって必要なこととはいったい何であろうか。安全な作物を供給することが最も大切なことではないかと思う。安全な農作物を生産するのに必要な要素をベースに、日本の農地を検討して見れば。そのまま飲めるほどきれいな農業用水、ほとんど停電することのない電気、整備が進んでいる水平な圃場に加え、四季があり、降雨によって自然に人地を浄化できる素晴らしい自然環境がある。
農業にとって最も大切な、安全な農作物の供給が十分に出来る環境が整っているのだ。農業に適する項目を比較して見れば、日本の圧倒的な優位性が見えてくる。このような良い環境条件が整っているにもかかわらず、日本は中国の農家と同じような栽培方法を行っている。強みが活かしきれていない。露地農家の多くは、ただ単にコスト削減と袮し安価な肥料を求めて栽培している。そして農協による規格に合わせた出荷体制に縛られて、着々と真綿で首をしめられているのだ。
日本の農業が衰退しているのは、アメリカのやり方をそのまま真似しているからだという見方もある。あらゆる産業がアメリカを手本にしてきた。確かに農業も例外ではない。
青年農業者の研修は、私たちの時代からアメリカを中心に行われている。アメリカ方式の大規模大量生産という農業システムは、広大な農地が前提となる作業体系である。目本の農業とは、農地の栽培面積、国土の広さ等の前提が根本的に異なっている。そのアメリカの農業生産システムを、長い間日本で普及させてきた結果、本来の強みを失い、諸外国に負ける農業になったとも言える。
農業は自国民の食糧確保という、国家防衛的機能も持たなければならない産業である。敗戦後から、何か目に見えない力によって悪しき方向に引っ張られてきた感が拭えない。
それに対して、ヨーロッパでは、アメリカや中国とは全く異なった農業が発達してきた。大量生産の方向ではなく、個々の農家が自分の得意なものにこだわりを持って営農している。イベリコ豚、チーズ、ワインなどは、大手の農家が生産しているものではない。普通の家族経営的な農家が生産しているのである。日本は、むしろ、ヨーロッパの農業生産システムを手本とすることで、国土の優位性を活かした、新しい農業生産システムを構築できるのではないか。(第7章 故郷を守る、176~177頁)
岡本重明氏著書への貴書評にコメントを書きましたが送信不可でした。以下のコメント載せていただけたら幸いです。他に扱いようがあったら併せてお願いします。
嫌悪感を「興味津々」に転換して、この種の主張への対策を提言するものです。
今川直人
ビジネス情報の価値は、受け手に態度変容を迫るかどうかで決まる。私の本書に寄せる関心は2点である。「いかにして農地を集積しそれを耕作したか」および農協との「戦争」の記述の中に建設的な提案が見出せるかである。
筆者の岡本氏は日本はアメリカ型をモデルとしてきたが、集約的なヨーロッパ型が国情に合うと主張している。しかし、筆者をはじめ全国のビッグネームの経営は、規模についてはヨーロッパを越えてアメリカに並んでいる。この規模に古来の集約的な手法を加味すれば国内で優位に立てる。岡本氏のモデル論はこのように読むべきことなのかもしれない。
評者(濱田氏)によると、行政の指導、農協の営農指導や事業方式への苦言が多いようである。筆者の農地集積は、時期的にみて行政の農地政策に農協も協力して進められたと推測できる。タイトルの『戦争』はこの苦言の総体であろうが、結果はともかく行動を含めて敵国とされては農協に籍を置いたものとして浮かばれない。
関連して。岡本氏が標榜する「農家の応援団」の応援の内容が大変気になる。JAは応援を業とする組織である。同じ応援団として、JAが満たしていない農家応援の要諦を具体的に明かしていただければ大変ありがたい。
岡本氏のような辛口の農業経営者の意見を聞くことが改善の早道であるかもしれない。研究会に扱いを検討していただきたい一分野である。
(今川氏の依頼により、管理人が代理でコメントを投稿するものです)