『渋沢栄一とドラッカー 未来創造の方法論』國定克則


「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その7
2020年11月(株)KADOKAWA、1,650円
タイトルに惹かれて購入。渋沢栄一はもうすぐ新1万円札の肖像画に使われるし、現在放映中のNHK大河ドラマの主人公。ドラッカーは経営に携わる人、経営学を学習する人なら一度は彼の本を手にしたことのある巨人。
著者の國定克則氏は、ドラッカー経営大学院でドラッカーから教えを学びMBAを取得した人。執筆に際して、渋沢栄一他の勉強をされてこの本を書いたらしい。ドラッカーが渋沢栄一を評価していることをこの本で知った。國定市は、良く勉強されている。
例によって、感想を書くより気に入った文章を列挙しておきます。ご容赦ください。
「ドラッカーは大学では経済、統計、政治、哲学、東洋美術などを教えていた。ドラッカー経営学は、歴史、社会、政治、経済、統計、哲学、倫理、心理、芸術、会計、財務など、彼の多様な知識の集大成なのだ。」(P118)
「渋沢栄一とドラッカーに共通する末来創造の本質は、『高く広い視点で間代が要請するものを見極めていた』ことだったと言った。ただ、現代において、高く広い視点で時代が要請するものを見極め、それを新しい事業の創造につなげていける人がどれだけいるだろうか。未来創造のネタも現場に眼っている。現場から、時代が要請するものに気づかせてもらえばいいのだ。」(P107)
「人間の経験というものは、意図的に経験するものもあれば偶然のものもある。これまで述べてきたように、何も知らない人間は現場から気づかせてもらうことが多い。また、自分自身の経験からも気づく。特に失敗から学ぶことは多い。小さな失敗からは小さな気づきが、大きな失敗からは大きな気づきがある。さらに人間には出会いがある。貴重な出会いは多くの場合偶然だ。そういった経験や出会いから学んだことがやがてつながっていぎ、新しいものの創造に結びついていく。」(P117)
「ドラッカーは日本にかなり影響を受けていたと思う。ドラッカーの考え方からすれば、ドラッカーが日本と出合ったのは必然だったかもしれない。ただ、ロンドンで雨宿りのために入った画廊で日本画に出合ったのは偶然としか言いようがない。」(P118)
「ドラッカーは次のように言う。『リーダーたる者は、あらゆる行動において、翌朝鏡の中に見たい自分であるかを問うことを習慣化しなければならない』自分という人間にふさわしい自己決定をして、それを実行しているか、毎日自分に問い続けろと言っているのだろう。」(P128)
「渋沢栄一もドラッカーも自分の歩む道を決めてその道を進んでいった。成果は実践によってしかもたらされないし、自分がどういう道を歩む人間かということも実践でしか示せないのだ。」(P131)
「教育に力を入れている国が繁栄する。日本も教育に力を入れてきたから繁栄できた。渋沢栄一もドラッカーもよく勉強している。勉強したから成果をあげることができたのだ。これからは知識社会である。そもそも勉強しない人が成果をあげるのは難しい。知識社会は変化のスピードが激しい時代である。これからは間違いなく知識労働者の再教育、生涯学習が重要に時代になっていくだろう。ドラッカーは『知識労働やサービス労働の生産性には、仕事と組織に継続学習を組み込むことが必要である』という。」(P175~176)
「ドラッカーは、自由とは解放ではなく、目的と価値に関する責任を伴う選択であるとした上で、『自由とは、人間が「哀れではあるが、誇り高き存在」であるとの信条である』と言います。そして、『人間を基本的に不完全で儚いものとするとき、はじめて自由は、哲理上、自然かつ必然のものとなる』と言うのです。つまり、人間は不完全で儚い、哀れな存在でしかない。しかし、理想に向かって誇り高く生きていくことはできる。そういう生き方への、責任を伴う選択こそが自由ということなのだと。そして、人がどういう生き方を選択するかは、その人の心の中に答えがあるのです。さて、あなたは、誇り高く生きていますか。自分という人間にふさわしい自己決定をしていますか。そして、一度しかないこの人生をどう生きていくつもりですか。」(P210~211)