サピエンス全史-文明の構造と人類の幸福-

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その9

チンパンジー

ユバル・ノア・ハラリ著、柴田博之訳、上・下巻、各2,090円、河出書房新社、2016年9月

戦争、宗教、帝国の領土拡張と紀元前から現代に至るまで俯瞰する。歴史好きな人におすすめ。前回紹介した『人新世の「資本論」』(斎藤幸平)の方が論理明快で説得力があると思った。国内100万部、世界1600万部という謳い文句に惹かれて購入したが、ま、こんなものかという感想。私自身が歴史に疎いせいもあろう。

著者は、ユバル・ノア・ハラリという歴史学者。「1976年生まれのイスラエル人歴史学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、現在、エルサレムのヘプライ大学で歴史学を教えている。軍事史や中世騎士文化についての3冊の著書がある。オンライン上での無料講義も行ない、多くの受講者を獲得している。」(著者紹介の帯文より)

例によって、印象に残った記述を抜粋しておきます。

「農耕民が未来を心配するのは、心配の種が多かったからだけでなく、それに対して何かしら手が打てたからでもある。彼らは、開墾してさらに畑を作ったり、新たな泄漑水路を掘ったり、追加で作物を植えつけたりできた。不安でしかたがない農耕民は、夏場の収稜アリさながら、狂ったように働きまくり、汗水垂らしてオリーブの木を植え、その実を子供や孫が搾り、すぐに食べたいものも、冬や翌年まで我慢した。農耕のストレスは、広範な影響を及ぼした。そのストレスが、大規模な政治体制や社会休制の土台だった。悲しいかな、勤勉な農排民は、現在の懸命な労働を通してなんとしても手に入れようと願っていた未来の経済的安心を達成できることは、まずなかった。至る所で支配者やエリート層が台頭し、農耕民の余剰食糧によって暮らし、農耕民は生きていくのが精一杯の状態に置かれた。こうして没収された食糧の余剰が、政治や戦争、芸術、哲学の原動力となった。余剰食糧のおかげで宮殿や砦、記念碑や神殿が建った。近代後期まで、人類の九割以上は農耕民で、毎朝起きると額に汗して畑を耕していた。彼らの生み出した余剰分を、王や政府の役人、兵十、聖職者、芸術家、思索家といった少数のエリート層が食べて生きており、歴史書を埋めるのは彼らだった。歴史とは、ごくわずかの人の営みであり、残りの人々はすべて、畑を排し、水桶を運んでいた。」(上P132)

「21世紀が進むにつれ、国民主義は急速に衰えている。しだいに多くの人が、特定の民族や国籍の人ではなく全人類が政治的権力の正当な源泉であると信じ、人権を擁護して全人類の利益を守ることが政治の指針であるべきだと考えるようになってきている。だとすれば、200近い独立国があるというのは、その邪魔にこそなれ、助けにはならない。スウェーデン人も、インドネシア人も、ナイジェリア人も同じ人権を享受してしかるべきなのだから、単一のグローバルな政府が人権を擁護するほうが簡単ではないか?氷冠の融解のような、本質的にグローバルな間題が出現したために、独立した国民国家に残された正当性も、少しずつ失われつつある。どのような独立国であれ、地球温暖化を単独で克服することはできない。中国の天命は、人類の間題を解決するために天から授けられた。現代の天命は、オゾン層の穴や温室効果ガスの蓄積といった、天の間題を解決するために人類から授けられる。グローバル帝国の色はおそらく緑なのだろう。」(上P255)

「中国人やペルシア人は、蒸気機関のようなテクノロジー上の発明(自由に模倣したり買ったりできるもの)を欠いていたわけではない。彼らに足りなかったのは、西洋で何世紀もかけて形成され成熟した価値観や神話、司法の組織、社会政治的な構造で、それらはすぐには模倣したり取り込んだりできなかった。フランスやアメリカがいち早くイギリスを見習ったのは、フランス人やアメリカ人はイギリスの最も重要な神話と社会構造をすでに取り入れていたからだ。そして中国人やペルシア人がすぐには追いつけなかったのは、考え方や社会の組織が異なっていたからだ。日本が例外的に19世紀末にはすでに西洋に首尾良く追いついていたのは、日本の軍事力や、特有のテクノロジーの才のおかげではない。むしろそれは、明治時代に日本人が並外れた努力を重ね、西洋の機械や装置を採用するだけにとどまらず、社会と政治の多くの面を西洋を手本として作り直した事実を反映しているのだ。」(下P98)

「私たちは以前より幸せになっただろうか?過去5世紀の間に人類が蓄積してきた豊かさに、私たちは新たな満足を見つけたのだろうか?無尽蔵のエネルギー資源の発見は、私たちの目の前に、尽きることのない至福への扉を開いたのだろうか?さらに時をさかのぼって、認知革命以降の7万年ほどの激動の時代に、世界はより暮らしやすい場所になったのだろうか?無風の月に今も当時のままの足跡を残す故ニール・アームストロングは、3万年前にショーヴェ洞窟の壁に手形を残した名もない狩猟採集民よりも幸せだったのだろうか?もしそうでないとすれば、農耕や都市、書記、貨幣制度、帝国、科学、産業などの発達には、いったいどのような意味があったのだろう?」(下P214)

「7万年前、ホモ・サピエンスはまだ、アフリカの片隅で生きていくのに精一杯の、取るに足りない動物だった。ところがその後の年月に、全地球の主となり、生態系を脅かすに至った。今日、ホモ・サピエンスは、神になる寸前で、永遠の若さばかりか、創造と破壊の神聖な能力さえも手に入れかけている。不幸にも、サピエンスによる地球支配はこれまで、私たちが誇れるようなものをほとんど生み出していない。私たちは環境を征服し、植物の生産量を増やし、都市を築き、帝国を打ち立て、広大な交易ネットワークを作り上げた。だが、世の中の苦しみの量を減らしただろうか?人間の力は再三にわたって大幅に増したが、個々のサピエンスの幸福は必ずしも増進しなかったし、他の動物たちにはたいてい甚大な災禍を招いた。過去数十年間、私たちは飢饉や疫病、戦争を減らし、人間の境遇に関しては、ようやく多少なりとも真の進歩を遂げた。とはいえ、他の動物たちの境遇はかつてないほどの速さで悪化の一途をたどっているし、人類の境遇の改善はあまりに最近の薄弱な現象であり、けっして確実なものではない。そのうえ、人間には数々の驚くべきことができるものの、私たちは自分の目的が不確かなままで、相変わらず不満に見える。カヌーからガレー船、蒸気船、スペースシャトルヘと進歩してきたが、どこへ向かっているのかは誰にもわからない。私たちはかつてなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばいいかは、ほとんど見当もつかない。人類は今までになく無責任になっているようだから、なおさら良くない。物理の法則しか連れ合いがなく、自ら神にのし上がった私たちが責任を取らなければならない相手はいない。その結果、私たちは仲間の動物たちや周囲の生態系を悲惨な目に遭わせ、自分自身の快適さや楽しみ以外はほとんど追い求めないが、それでもけっして満足できずにいる。目分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?」(下P264~265)

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