宇沢弘文『ゆたかな国をつくるー官僚専権を超えてー』

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その14

宇沢弘文著、1999年3月、岩波書店、1,760円
協同組合関係者には、宇沢先生の愛読者が多いのではないだろうか。とくに、JA関係者にとって農業、土地、自然が広く社会的共通資本であるという主張には救いがある。この本は、出版は古いが読みやすい。
例によって、気に入った点を抜粋しておきます。
「資本主義の考え方は、すべての希少資源を私有化して、分権的市場経済制度のもとで、資源配分と所得分配とを決めるという制度を想定しています。これに対して、社会主義の考え方は、すべての希少資源を公有化して、政府が中央集権的な経済計画を策定して、資源配分と所得分配を決めようというものです。資本主義、社会主義のどちらの考え方も、一人一人の人問的尊厳と魂の自立が守られ、市民の基本的権利が最大限に確保されるという要請をみたしていません。このことは、二十世紀の歴史が示す通りですし、また理論的にも明らかにされてきました。資本主義、社会主義のどちらの考え方も、 一つの国あるいは社会のもっている歴史的条件を無視し、その文化的、社会的特質を切り捨てて、自然環境に対してなんらの考慮を払わないという点で共通したものをもっています。これに反して、制度主義の考え方は、 一つの国あるいは社会のもっている歴史的、文化的、社会的、自然的条件について充分に配慮して、現実の経済的諸制度を策定し、その現実化を図ろうとするものです。そのとき、制度主義の考え方を支えるのはリベラリズムの思想です。リベラリズムという言葉は、きわめて多様な意味に使われていますが、 ここでは、ジョン・デューイとソースティン・ヴェブレンの二人が使った本来的な意味でのリベラリズムとして使いたいと思います。デューイとヴェブレンの二人は十九世紀の終わり、ちょうど第一の 「レー ルム・ノヴァルム」 が出されたのと同じ頃、創設期のシカゴ大学にあってそれぞれ哲学、経済学の基礎をつくった学者です。」(第1章社会的共通資本の考え方 P10~11)
「ここでとくに強調しなければならないのは、制度主義を具現化するものとしての社会的共通資本は決して、国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならないということです。社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、職業的規範にしたがって管理、維持されるべきものであることを改めて確認しておきたいと思います。このとき「政府」 の役割は、社会的共通資本の各部門の間の関係を調整し、またそれぞれの部門で、希少資源の効率的な配分が実現し、そのサービスが公平に分配され、しかも財政的に可能になるような制度を策定し、具現化することにあります。社会的共通資本の基本的性格をこのように理解するとき、大気、森林、水、土壌、河川、海洋などの自然環境、道路、公共的交通機関、上下水道、電力、ガスなどの都市的インフラストラクチャー、教育、医療、金融制度などの制度資本が、社会的共通資本の重要な構成要素であることは明らかでしょう。これらの社会的共通資本はいずれも、市民の一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割をはたすものです。」(第1章社会的共通資本の考え方 P14)
「日本の経済・社会は病理学的といってよい対照によって特徴づけられています。一方では、高速道路、長大な連絡橋、新幹線、巨大な公共構造物、華美な企業関係の建物・施設が人々の目を見張らせると同時に、他方では、極端に貧しい一般庶民の住居と文化的、自然的環境の徹底した破壊が全国津々浦々を支配しています。その、もっとも根元的な原因は、行政官僚、とくに中央官庁の上級官僚があまりに強大な権限と権力とをもち、経済、社会、教育、医療、文化、おょそ人間的活動のあらゆる面にわたって管理ないしは介入してきたからです。この官僚専権の弊害は戦後五〇年間を通じてますます拡大化され、深刻化してきました。住専問題にはじまる金融崩落、 一九九六年四月に強行された消費税引き上げなど、前代未聞の政策的過誤によって惹き起こされた戦後最大規模の経済不況とそれにともなう広範にわたる人問的苦悩も、結局は、この官僚専権の弊害がもたらしたものであるといっても言い過ぎではありません。」(第3章官僚専権の弊害を超えて P29)
「行政官僚群は、戦前、戦中を通じて、軍部と結託し、あるいは軍部に強要されて、抑圧的統治をおこない、日本を悲惨な第二次世界大戦に巻き込んでいったのです。その同じ行政官僚が戦後は、ときとしては占領軍と手を組み、あるいは占領軍からの指示を適当にサボタージュしながら、それぞれ所属する省庁の権限と縄張りとを拡大化し、強化することに腐心し、反社会的な公共事業と公共政策を強行しつづけてきました。一九五五年、自民党による専政の時代に入って、中央省庁の権限はいっそう拡大化され、その権力はますます強化されていきました。これは、自民党がもっばら、各省庁ないしは特定の官僚群の権限と縄張りとをできるだけ拡大化、強化するような公共政策、公共事業を立法化ないしは具体化するという政治的役割を果たしてきたからです。これらの公共政策、公共事業はおおむね、各省庁ないしは特定の官僚群と密接な関係をもつ個別的企業、個別的産業、あるいは特定の利益集団に利益をもたらすものであって、本来の意味における公共性を欠くものでした。自民党ないしはそれに所属する特定の政治家たちは、これらの企業、産業ないしは利益集団から、見返りとして、合法的ないしは非合法的な政治献金を得るというかたちで、自民党、政府官僚、大企業を中心とするいわゆるトロイカ体制が形成されていったのです。官僚専権を核とする、このトロィカ体制は一方では、 一九五〇年代の半ば頃にはじまる歴史的ともいうべき日本経済の高度成長を可能にした反面、他方では、日本における実質的な所得と富の分配をきわめて不公正なものとしていきました。最初にふれた日本の経済・社会を特徴づける病理学的対照は、この、官僚専権のもとにおけるトロィカ体制の必然的な帰結であるといってよいと思います。一九九三年七月、三八年間にわたった自民党専政の終結は、日本の政治の将来にーつの明るい光を与え、私たちは大きな期待をもちました。しかし、細川政権のもとで、官僚専権はますますその勢いをつよめ、私たちの期待は無残に打ち壊されたのです。細川政権の基本的性向は、 一九九四年二月、未明に突如おこなわれた記者会見でなされた細川元首相による「国民福祉税」 の発表に如実に現われています。それは、消費税を名前だけ「国民福祉税」と変えて、税率を三%から七%に引き上げるという無謀な税制改革案でした。しかもこの記者会見は、その直前になされた当時の大蔵次官と細川政権の実質的な支配者とみなされていた自民党の小沢一郎氏との合議を受けて、細川元首相が独断で、武村官房長官をはじめとする政策担当の責任者たちにまったく諮ることなくおこなわれたものでした。細川元首相が独断でこのような大きな税制改革を強行しようとしたことに対して、国民の大多数からつよい反対の声が上がり、わずか数日にして、細川元首相は記者会見における自らの発言を全面的に撤回せざるを得なくなりました。この事件は、日本の政治がいかに腐敗し、いかに専制的であり、日本の官僚専権がいかに深刻であるかを全世界に暴露したものでした。」(第3章官僚専権の弊害を超えて 30~31)