命の経済ーパンデミック後、新しい世界が始まるー


「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その16
ジャック・アタリ(Jacques Atalli)著、2020年10月、プレジデント社、2,970円
著者のジャック・アタリについては、次をご覧ください。
「1943年アルジェリア生まれ。フランス国立行政学院(ENA)卒業、81年フランソワ・ミッテラン大統領顧問、91年欧州復興開発銀行の初代総裁などの要職を歴任。政治・経済・文化に精通することから、ソ連の崩壊、金融危機の勃発やテ口の脅威などを予測し、2016年の米大統領選挙におけるトランプの勝利など的中させた。林昌宏氏の翻訳で、『2030年ジャック・アタリの未来予測』『海の歴史』『食の歴史』(小社刊)、『新世界秩序』『21世紀の歴史』『金融危機後の世界』『国家債務危機ーソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?』『危機とサバイバルー21世紀を生き抜くための〈7つの原則〉』(いずれも作品社)、『アタリの文明論講義,未来は予測できるか』(筑摩書房)など、著書は多数ある。」(奥付の著者紹介より)
本書は、現在進行形のコロナ禍の中で、我々はどう考え行動すべきかを問う。残念ながら、恐らく良心的な本の常であるが、明確な結論は出されていない。私達自信が考え、行動に移すことを訴えてくる。まず、本書の「はじめに」を抜粋して著者の想いを紹介する。
続いて、いつものように幾つかを抜粋しておきます。
「私が本書でこのような形をとる理由は、これまでを総括することがこの戦いのさなかにおいて有益だと考えるからだ。総括では喫緊の争点だけでなく、われわれがよりよい形でなすべきだったことを説く。横行するまことしやかな嘘と臆見を排除し、納得のいく説を提示することを目指す。したがって、本書の総括は、専門家を自称する者たちの論争、恐怖を煽る輩の罵言、事態を直視せずに自分たちのユートピアを繰り返し説く人々の妄想とはまったく異なる。そして今後の展望では、来るべき未来に備えるためになすべきことを明確に語る。私は、これまでとは異なる暮らし方を今、試みようとする幾多の人々に本書を捧げる。執筆に際しては、世界各地から得た確固たる知識だけを用いることを心がけた。二〇カ国以上の医師、疫学者、歴史家、経済学者、社会学者、哲学者、小説家、経営者、研究者、労働組合活動家、非政府組織(NGO)の代表者、与党と野党の政治家、文筆家、ジャーナリストの見解を参考にした。そして真理が宿っているのにもかかわらず毎視されることの多い、市井の人々の意見にも耳を傾けた。自分たちの知識と懸念を私に惜しみなく語ってくれた彼らに感謝申し上げる。彼らの言葉は、この特殊な状況においていっそう価値をもつ。
私はSF小説のような突拍子もない仮説をはなから排除しないようにも気を配った。現実の世界はSFを超えてしまったのではないか。
私が人々と討議したのは、誰もが抱く疑問についてだ。それらの疑間を列挙する。
過去のパンデミック〔世界規模での感染爆発〕からは、どんな教訓が得られるのか。
今回のパンデミック、 そしてこの危機が引き起こす飢餓、絶望感、別の疾患の誘発によって、今後さらに何人くらいの犠牲者が出るのか。どうすればこの感染症を克服できるのか。いつになったら治療薬、あるいはワクチンが開発されるのか。
重度のリスクに晒されるのは高齢者だけだとされていた状況下で、世界経済を停止させるべきだったのか。どれほど失業が増え、それはどのくらいの期問続くのか。
われわれはパンデミック発生以前の生活水準や生活様式を取り戻せるのだろうか。消費、労働、恋愛の形態は、元に戻るのだろうか。それはいつのことなのか。誰が失業するのか。消滅する職業は何か。新たに登場する職業は何か。
パンデミックに対する戦いに傾注するあまり、 その他の戦い、とりわけ、女性、子供、社会的弱者なとの人権のための闘争がおろそかにならないようにするには、どうすべきか。
今回のパンデミック危機からいち早く抜け出す国はどこか。敗れ去る国はどこか。
われわれは民主主義を維持できるのか。自身の健康状態を包み隠さず申告しなければならないシステムになっても、われわれは個人の自由を保護できるのか。
一変した状況下で、それまで抱いていた考えや願い、時代遅れになった計画へのこだわりからどう脱するべきか。
世の中の役に立つには何をなすべきか。自分自身、他者、世界、死に対し、われわれはどう向き合うべきか。」(はじめにより、P19~21)
「人類は悪夢を乗り越えようとしているようだ。そして、ただーつの願望、野望、悲痛な願いを抱いているようだ。それは、悪夢が終わり、危機が発生する以前の世界に戻ることだ。私は、そうした無分別な態度に怒りを覚える。というのは、たとえこのパンデミックが自然に、あるいは治療薬やワクチンのおかげで魔法のように急速に終息したとしても、われわれがパンデミック以前の世界に戻ることはあり得ないからだ。
私は、ョーロッパ諸国を含め、世界中の多くの政府がパニックに陥り、中国の独裁型対応に追随したことに怒りを覚える。中国では2020年1月、自国の経済活動に急ブレーキをかけたが、この方式は失敗した。一方、韓国をはじめとする民主国家は、どのような戦略を立てるべきかを理解したうえで世論を説得し、自国企業にマスクや検出用キットの製造に着手するよう指示し、経済活動の一時停止を回避した。この手本に倣うことをしなかった国々は、中国を模倣して都市封鎖を決断し、自国の経済活動を仮死状態に追いやった。私は、非常に多くの国が長年にわたり、国民の健康維持は国にとって負担ではなく財産なのだと理解してこなかったこと、そして病院や介護の現場(の財源を削減してきたことに怒りを覚える。私は、一時停止している世の中を目の当たりにして怒りを覚える。その様子は、あらゆる変革を余儀なくされていることをわかっていながらも、行動に踏み切ることを避けているかのようだ。」(はじめに、P22~23))
「第四に、すでに20年以上にわたり、利己主義、偏狭な視点、他人の考えを受け人れない態度が幅を利かすようになっていた。世界は、軽薄、利己主義、不誠実、不安定で溢れ返っていた。過剰な富、そして深刻化する貧困。投機行為は度し難かった。気候変動による被害はますます深刻になった。資源の無駄遣いが横行していた。もはや無意味となった取引や活動が漫然と続けられ、地球温暖化などの対策に必要な環境基準の採択は拒まれていた。本質を追求しようという意欲は失われ、将来世代の利益は顧みられていなかった。肥大して官僚化した政治体制は、自らが挑むべき抜本的改革の大きさを理解していなかった。あるいは、認めようとしなかった。社会は、時代遅れの娯楽や儀式を断念することができなかった。」(第2章 未曾有のパンデミック、p81)
「国民は勘づき始めた。指導者は、自分たちを守るためになすべきことをしかるべき時期に実行しなかったのではないか。これらのいわゆる 「立派な政治家(仏:hommed’Etat、英:Statesperson)たちは、長年にわたって決断できずに遼巡してきたのではないか。彼らは将来を予測できず、正しい政策を選ぶ手段を身につけてこなかったのではないか。彼らは、意志薄弱で、臆病で、悪い影響に流されやすく、政治的工作にどっぷりと浸かっているのではないか。彼らの大半は韓国型でなく中国型の戦略に追随するという誤った判断を下したのではないか。彼らの多くは国民に嘘をついたのではないか。彼らは避けることができたかもしれない拘東生活を国民に強いたのではないか。」(第4章国民を守り、死を悼む政治、P147)
「こうした事態に加え、われわれが最後に心配すべきは陰鬱な政治的風潮というパンデミックだろう。この世の終わりという雰囲気が漂うなか、独裁政治は外国人排斥と絶対権力を堂々と唱えるスローガンを掲げて現われるに違いない。独裁政権の支持者たちは、何の根拠も示さずに、次のように言い放つだろう。
「民主主義ではこれまでの危機は解決されなかった」、「国境は封鎖すべきである」、「外国人は誰であれ脅威だ」、「すべてを自国で生産すべきであり、外国を頼りにすべきではない」、「国内と国外の、敵だと認められる者たち全員に対して武装して立ち向かわなければならない」。
独裁政治が理想とするのは、誰もがあらゆることを監視される社会であり、全員の健康状態や行動などが知れ渡る社会、民主主義を軽視する社会だ。そのような社会では、メディアは娯楽と権力のプロパガンダの場でしかなくなるだろう。すでに多くの国では独裁政治の状態にある。この先、パンデミックが新たに発生すれば、独裁政治は拡大するのではないだろうか。世界中の多くの国で大勢の人々が独裁政治を受け入れるかもしれない。なぜなら、パンデミックにより、人々は他者を警戒するようになり、他者への監視と引き換えに、自身が監視されることも容認するようになるからだ。恐怖のもとではつねに、自由よりも安全が優先されるようになる。そしてソーシャルディスタンスとマスクにより、他者の人間らしさが感じられなくなり、他者の運命に無関心になることもその一因かもしれない。
これらは決して、非現実的な脅威ではない。これまでに紹介したように、ョーロッパの多くの国でも民主主義にはすでに疑問符がつけられている。民主主義が脆弱な状態にあること、そして、現在の形態では世界の課題に対処できないことは明らかだからだ。」(第7章 パンデミック後の世界はどうなる?、P279)