農の原理の史的研究-「農学栄えて農業亡ぶ」再考-

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その31

チンパンジー

藤原辰史著『農の原理の史的研究-「農学栄えて農業亡ぶ」再考-』、2021年1月、株式会社創元社、3,850円

農学の歴史に触れる本である。チューネン、チャヤーノフ、カウツキーといった人名に触れる本を読むのは、学生時代以来ではないだろうか。著者の藤原氏は、農業史の専門家らしく説明が史実に即し迫力があるし、読んでいて面白かった。

著者の略歴は、「1976年北海道旭川市生まれ、島根県奥出雲町出身。2002年京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程中途退学。博士(人間・環境学)。 東京大学大学院農学生命科学研究科講師などを経て、2013年より京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史・環境史。著書に、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房、2005年、第1回日本ドイツ学会奨励賞)、『カブラの冬』(人文書院、2011年)、『ナチスのキッチン』(水声社、2012年/決定版:共和国、2016年、第1回河合隼雄学芸賞、上記三作を主な対象として第15回日本学術振興会賞)、『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館、2012年)、『食べること考えること』(共和国、2014年)、『トラクターの世界史』(中公新書、2017年)、『戦争と農業』(集英社インターナショナル新書、2017年)、『給食の歴史』(岩波新書、2018年、第10回辻静雄食文化賞)、『食べるとはどういうことか」(農山漁村文化協会、2019年)、『分解の哲学』(青土社、2019年、第41回サントリー学芸賞)、『縁食論』(ミシマ社、2020年)など』(奥付の著者略歴より)

チンパンジーの例によって、印象深いところを抜粋して感想・紹介にかえます。

「丸山の農本主義批判は、農本主義の再評価を活性化した。1959年の「農本主義論の再検討」という『思想』に掲載された論文で、安達生恒は、農本主義が、小農制を半封建的社会基盤として、資本主義の破壊作用から絶対主義権力を守るための旧体制擁護のためのイデオロギーだという奥谷松治や桜井武雄の主張を退けた。農本主義が権力に用いられたからといって、それだけで批判するのはよくないだろう、というのが安達の批判である。安達は、「農本主義思想のなかに、農民のもつ発想とどこかにおいて触れあうところがあった」と述べ、農本主義の「郷土主義」にある「共同体的思考法」や、慣行としての地主、自治主義と反中央集権主義、あるいは「法律のいらない小世界を作りあげること」などに、積極的な意味を見出すこともできるのでは、と問うた。」(序章 科学はなぜ農業の死を夢見るのか、P37)

「最初の点に関連して、農本主義研究の系譜のなかで異彩を放つのは、現在、公然と「新農本主義」を訴える宇根豊である。宇根は橘孝三郎と権藤成卿や、松田喜一などの地域の運動家を論じつつ、自身の「農と自然の研究所」の活動を踏まえながら、愛国主義によらないエコロジカルな思想として、旧時代的な農本主義からの脱皮を図った。宇根の議論を見逃せない最大の理由は、自身が農民でありつつ、日本で初めて田んぼに棲む生物の個体数を数え、農業の経済外的価値をデータとして示し、橘孝三郎のように理論と実践の統合を試みており、しかも、積極的に「農の原理」を打ち出していることだ。本書のタイトルに掲げた「農の原理」は宇根の本からの引用である。

ただし、宇根の議論は、農業に価値を置こうとしてきた人間の理論と実践のネガティヴな側面への検討、とりわけ日本の戦争や植民地支配との関係についての議論が不十分であり、歴史的背景の考察がかなり捨象されている。橘孝三郎が五・一五事件に深く関係したことを、橘自身が持つ農本主義の今日的意義から切り離そうとするだけでは、農本主義それ自体が持つ危険性のみならず、もっとラディカルな可能性もろとも捨て去ることになりかねない。宇根は制度としての農学に対する根源的な不信を抱いており、農学はそもそも思想的格闘の対象にならない。だが、農学に潜む価値探究の試みと国家暴力への加担をもっと自省的にとらえ「農の原理」を打ち出したならば、それは宇根の議論を発展させることにもなりうると私は考えている。」(序章 科学はなぜ農業の死を夢見るのか、P38)

「チャヤーノフは家族経営が資本家経営と根本的に異なることを、こう説明した。カウツキーやレーニンたちが提唱するマルクス経済学では、機械や肥料や土地などの生産手段を有しつつ、資本を持たない中間層は、資本家か労働者かのどちらかに引き裂かれる(農民層分解)、としてきたが、チャヤーノフはロシアや日本で、資本主義経済でも小農が一定の存在感を持つのは、その家族のライフサイクルに応じた経営規模の柔軟な変更や、家族の胃袋を満たすという経済目標と疲労の具合の絶妙なバランスによって農業を営むあり方の強靭さゆえである、と論じた。夫婦二人の経営体と、家族七人の経営体とでは、おのずから経営目標も経営方法も異なる、という見方である。経済学ではとらえがたいノイズから小農の意外な強靭さの秘密を探るチャヤーノフは、アメリカ的資本主義とも、ソ連式集団化による大規模農業化とも異なる道を、小農の連帯である協同組合の試みの中で模索していたのである。『小農経済の原理』では、こう述べている。

(中略)

一つーつの農業経営体では世界市場に立ち向かえない小農も、協同組合の力で流通過程を支配すれば資本主義に十分に対抗できる、というヴィジョンが示されている。」(第1章 夢追い人の農学、P45)

「このようなロシア農民の身体的な限度とそれに基づく心理の動きを、チャヤーノフは経済学の領域に持ち込んだ。農業の近代化・工業化・大規模化が近代主義者からも社会主義者からも各国で唱えられていた時代に、生理学的分野と心理学的分野と経済学的分野を統合し、「農の原理」のようなものを別出しようとしたのは、時代に抗するという一点だけ取ってみても画期的な作業だったと言えよう。

「主体均衡論」とも呼ばれるこの方法によって、彼は、このような小農経営のほうが、広大な農地での移動・運搬に手間暇とられる大経営よりも有利であるという説を立て、十九世紀末にドイツの社会主義者のあいだで論争になった「大経営か小経営か」という規模論争にーつの答えを出し、科学技術の導入と外部世界との交通・交流における小農の弱点を、協同組合のネットワークを形成することによって克服するという夢を抱き、行動に移したのである。政権を握ったレーニン率いるボリシェヴィキ(1918年3月からロシア共産党と名称を改める)が土地改革のスローガンとして「土地国有化」ではなく、「すべての土地を勤労農民へ」という社会革命党のスローガンを用いざるをえなかったのも、チャヤーノフたちのこうした運動が広く農民に支持されていたからだった。」(第1章 夢追い人の農学、P47)

「横井の直系の弟子である佐藤寛次が、クロポトキンの『田園・工場・仕事場』を全国農事会の会誌『中央農事報』で紹介したひとりであることも、また、1912年に『農工業の調和』というタイトルで本書を翻訳したことも、偶然ではないだろう。横井の「郷邑制」の理想とクロポトキンの共同体の理想はそれほど遠くないし、資本主義だけではなく、その弊害を乗り越える方法としてのマルクス主義も原則として批判し、人間相互間の協力や信頼に依存する態度も似ていなくはない。ただ、地主と小作人という関係を支配関係と見ず、村落のなかの指導者の位置を重視する横井の態度は、クロポトキンには認められない。

横井の小農論と農本主義は、すでに別の論考でも述べたように、チャヤーノフの小農経済論の影響も受けている。横井の思考は世界同時的な農をめぐる思想の融合である。それゆえに、世界同時的な「自由競争社会」に対抗する理想の蔟生のなかに位置づけ直さなければならないのである。」(第2章 八方破れの農学、P115)

「また、エーレボーは「経営有機体説」を唱え、農業経営体は、作付けや畜産など、さまざまな要素が互いに関係性を持って有機的につながっている、と主張していた。ここには、エーレボーが傾倒していたチューネンの影響を見ないわけにはいかない。橋本は、エーレボーの「欲望」論やチャヤーノフの「怠惰」論、そして二人が理論的土台として影響を受けたチューネンの「自然条件」論を参考にしながら、市場から農業をできるかぎり切り離す方策を考えつつも、それでも農民がそれぞれの農業環境のなかで主体的に振る舞える有機的農業経営体の理論化、実現化を考えていた。」(第3章 大和民族の農学、P145)

「チャヤーノフ、横井時敬、橋本傳左衛門、クルチモウスキー、杉野忠夫といった農をめぐる知識人の思想と実践は、農学の内部にありながらも、主観的にはこうした流れに抗議し、抵抗し、崩れそうな小農のかたちを接着剤でつなぎとめようとし、そうではない社会を探求するものだったと言えよう。それぞれの農学者や実践者たちは、不利な条件のなかでも、家族労作経営の生きる道を模索した。

農学という応用科学の担い手が、非現実的だと批判されても博打のような大きな夢に人生を委ねたのは、以上のような動かしづらい歴史を前にして、その傍観者にとどまることを選ばなかったからである。実学である農学は人の生死に直接関わるため、歴史の傍観者を妨げるハードルは意外と低い。

しかし、これらの農学者たちが歴史の傍観者から歴史の参加者になることで、夢は悪夢に転じた。チャヤーノフは、協同組合による家族経営の連帯という夢を、スターリニズムの恐怖に屈するように捨てざるをえなかった。科学の進歩による大規模集団化農業と食と農の廃止という新しい夢に塗り直したのである。横井時敬は、自然科学に基づく農業の発展の基礎を固めつつも、農業の特徴を訴え、農本主義という言葉を創出しながら、人間労働の徹底したテイラー主義的変容を求めた。二人の小農論者の夢は1908年と1920年の未来小説に書き込まれていたが、そこですでに、二人とも、ファシズム的な管理社会としか思えない社会の到来を予言、横井の場合は期待さえしていたのだった。経済原理から零れ落ちる人間と自然を称揚する思想は、市場が評価できない農民を何か別のかたちで評価するという難題を引き受けざるをえない。横井は農民を兵士として、あるいは、村の担い手として称揚し、チャヤーノフは、小農主義の思考実験で、農民を優生学的に選別し、農民の価値を高める未来を描いた。」(終章 農学思想の瓦礫のなかで、P302)

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