生源寺眞一著『岩波現代全書014 農業と人間-食と農の未来を考える』2013年10月18日、岩波書店、2,100円+税

「チンパンジーの笑顔」雑読雑感 その40

以前から気になっていた本をやっと手にすることができた。生源寺先生は、荏開津先生や鈴木先生達同様に、日本農業を真剣に考えていただいている先生の一人。生源寺先生のプロフィールは、次の通り。
「生源寺員ー 1951年愛知県生まれ.東京大学農学部農業経済学科卒業.農林水産省農事試験場研究員,北海道農業試験場研究員,東京大学農学部助教授,同教授を経て,現在,名古屋大学大学院生命農学研究科教授.この間,ケンブリッジ大学客員研究員,東京大学大学院農学生命科学研究科長・農学部長を務める.専攻は農業経済学.『現代農業政策の経済分析』(東京大学出版会,1998年),『現代日本の農政改革』(同,2006年),『農業再建ー真価間われる日本の農政』(岩波書店,2008年),『農業がわかると,社会のしくみが見えてくる-高校生からの食と農の経済学入門(家の光協会,2010年),『農業と農政の視野―論理の力と歴史の重み』(農林統計出版,2010年),『日本農業の真実』(ちくま新書,2011年)などの著書がある.』(奥付より)
例によって、チンパンジーが大切だなと思ったところを抜粋しておきます。ここでも、BCとMが出てきますよ。
「景観形成や水源酒養などの農業の多面的機能も講義のテーマである。多面的機能を経済学のタームで表現すれば、外部経済である(外部経済の意味については第5章で学ぶ)。このあたりは経済学の守備範囲内にある。ただし、オーソドックスな経済学は外部経済を例外的な現象として扱ってきたが、農業にはこの現象が普遍的に観察される。大半の農業が耕地や草地という開放系で営まれているからである。したがって、農業の場合、外部経済も市場内部の現象と同程度の重みで考慮すべき要素なのである。このように農業の特性をしっかり踏まえることで、経済学をバランスよく応用することもできる。
農業経済学は謙虚な経済学である-こんなふうに述べたことがある[生源寺2009・パート8(農業経済学のすすめ)]。自分の専門分野を謙虚と形容するのもいささか気恥ずかしいが、本書の執筆に取りかかったいま、倣慢な経済学を振り回してはならないという自戒の気持ちは、以前にも増して強くなっている。」(序章食料・農業と経済学、P5)
「農業経済学では、土地生産性を左右する品種や栽培法といった技術をBiological and Chemical技術、略してBC技術と呼んでいる。日本語にすれば生物化学的な技術である。農業技術のBCプロセスと表現されることもある。一方、高い土地装備率につながる農業技術の側面をMechanica1技術、略してM技術(Mプロセス)と呼ぶ。工学的な技術と訳される場合が多い。今日の農業経済学では、BC技術とM技術の二分法は標準的な用語法となっている。
歴史的にはBC技術の進展が先行し、経済のある程度の発展を待って、M技術のレベルアップが図られるパターンが多かったと言ってよい。農業機械の発明と大量生産は製造業の発達が前提になっているからである。製造業の発達はその国の経済発展の重要な一側面にほかならない。もっとも、M技術と経済発展の関係については、経済成長に伴ってM技術の導入が農業にとって有利になった側面も見逃せない。この点についてはのちに考察を深めることにし、ここではまずBC技術の具体的な姿を紹介する。」(第4章農業の成長と技術進歩、P115)
「BC技術の特徴は、その効果に規模による顕著な違いが認められない点にある。品種改良の成果は種子のかたちで生産の現場に受け渡されるわけだが、規模の小さな兼業農家であっても、広い面積を経営する専業農家であっても、面積当たりの種子の費用に変わりはない。その種子から得られる面積当たりの収量に差が生じることも考えにくい。つまり、BC技術は規模に関して中立的なのである。技術そのものが分割可能だと表現する場合もある。
これに対して、M技術は農業機械の投入を通じて発揮される。農業機械は分割することができない。ここでも田植機を例にとるならば、水田の面積が狭いからと言って、0.3条植えの田植機が使えるわけではない。小規模な農家も、比較的規模の大きな農家と同じ価格の田植機を利用することになる。だとすれば、面積当たりの機械の費用には差が生じるはずである。一般にM技術は規模の大きな農家に有利である。」(第4章農業の成長と技術進歩、P134)
「生産物の増加に伴って生産物当たりの平均費用が低下する関係を、経済学では「規模の経済」と表現する。スケール・メリットを厳密に定義したわけである。図4-1には近年の稲作について、北海道と都府県を区別して、規模と生産費の関係が図示してある。ただし、横軸の規模には生産量ではなく、作付面積をとった。面積のほうが生産規模の指標として直感的に分かりやすいからである。現在の稲作技術のもとでは、面積当たりの収量が作付面積に強く規定される関係はないから、横軸を生産量としても同じ形状のグラフが現れるはずである。
規模が拡大するにつれてコストは低下する。まさにM技術のウェイトが大きくなった現代の稲作には、規模の経済が働いているわけである。しかしながら、コストダウンの効果は作付面積10ヘクタール前後でほぼ消失する(注18)。言い換えれば、10ヘクタールの規模に到達するならば、コストを尺度として、もっとも効率のよい稲作が実現しているわけである。図示されているように、これを超える規漠でも同水準のコスト水準が保たれている。そこで、この10ヘクタールの生産規模のことを最小効率規模と呼ぶこともある。コストがミニマムとなる生産領域のうちで、最小の規模という意味である。
現在の技術を前提とするならば、また、地域性には十分留意する必要があるが、稲作の将来ビジョンを考えるとき、10ヘクタールという規模はひとつの目安になるはずである。ただし、コメの生産調整によって水田の4割強には稲が作付けられていない。したがって、水田面積の規模としては、15ヘクタールから20ヘクタールの規模が目安だと言ってもよい。もつとも現実には、すでに第2章で確認したとおり、稲作の平均規模は1ヘクタールにとどまっている。図411の左の端に位置しているわけである。ここに日本の農業の積年の課題があると言ってよいが、農業経営の規模の問題については、さらに次章で別の切り口からも取りあげることにしたい。」 (第4章農業の成長と技術進歩、P135~136)
「(注18)10ヘクタール前後の規模でコストダウン効果が消失する理由については、規模が拡大するにつれて圃場の分散による非効率が生じることや、四季の明瞭な日本では、例えば田植えの適期が限られており、適期を外してまで作付けを拡大する場合に減収といったコストアップ要因も作用することが考えられる。この点については、[生源寺2011-第三章(誰が支える日本の農業)]を参照されたい。」(第4章農業の成長と技術進歩、注18、P199)